「冒険の書三百七:フィオナとメアリ」
扉を開けたところに立っていたのはエルフの女――フィオナの先ほどの発言からしても、これが専属メイドのメアリであるのは間違いない。
「姫さま、おひさしぶりでございます」
真面目で隙の無い、冷徹な印象の女だった。
髪は後ろでキッチリお団子にまとめ、メイド服は清潔でシワひとつない。
背筋がピシッと伸び、銀縁のメガネの奥からジッとこちらを見つめてくる瞳には、どこかひんやりとした冷たさがある。
「お元気そうで、なによりです」
「……う、うむ。ひさしぶり……だな?」
どこかトゲのある口調に、思わず腰が引けた。
「さっそくですが、おわかりですね? わたくしがいま怒っているのを?」
「……な、なんとなくは?」
ぴたりワシに向けられた瞳の奥で、冷たい炎がメラメラと燃えている。
ううむ……こいつは相当にお怒りのようだ。
「理由は四つです。ひとつ目はドレスのまま就寝されたこと」
「……うむ」
「ふたつ目は髪をほどかずに就寝されたこと」
「……うむ」
「三つ目はお化粧を落とさずに就寝されたこと」
「うむ……だ、だがさすがに疲れていたので……」
「なにか不服でも?」
「……ありません」
ヘビに睨まれたカエルの如き有り様、とでも言おうか。
存在としての格差を感じてしまい、なにを言っても勝てる気がしない。
「そうかこれ……ベルキアでゴレッカと戦った時と同じなのか」
ワシは気づいた。
かつてワシは、ベルキアの街の大通りでゴレッカと決闘を行った。
レベルはともかく実力的には遥かに差のある相手に、ワシはみっともなくも体を震わせていた。
それはワシ自身の問題ではない。フィオナの体に刻み込まれた恐怖心のせいだ。
冒険者パーティの下っ端としてこき使われ、時に暴力まで振るわれていたせいで、フィオナの体にはゴレッカ=怖い、恐ろしいという気持ちが刷り込まれていたのだ。
メアリから感じるこの圧と、フィオナが産まれてからずっとメイドをしていたという関係性を考えると、ワシの肉体が本能的に『勝てない相手』だと判断するのも無理はない。
(あんたでも苦手な人っているのね)
「他人事みたいに言うな。これはおまえのせいでもあるのだからな」
(え、なんで?)
「おまえのことだ、きっと毎日こうしてお説教を受けていたのだろう。そのせいでだなあ……」
「いま……おまえのせい、とおっしゃいましたか?」
ワシが不服を漏らしていると感じたのだろう、メアリがキランとメガネを光らせる。
「や……っ?」
(わ……っ?)
さらなるお説教の気配に、ワシらは慌てた。
「言ってない言ってない! いや……正確には言ったが違うのだ! おまえのせ……おまえは背が高いと言ったのだ! ほれ、ワシは低いからうらやましいなと!」
(そうそれ! いいこと言うじゃないガルム! メアリってば背が高くてスラっとしてカッコいいからね! うらやましく思うのもしかたがないよね!)
「そうそれだ! メアリは背が高くてスラっとしててカッコいいからな! しょうがないな!」
(ちなみにここまでの流れでわかると思うんだけど、メアリって怒らせると怖いからね! 一度わたし、メアリが大事にしてたガラスの小瓶で遊んでたら落として割っちゃったことがあったんだけど! ガラスの破片で指から血が出たのをものすごい勢いで治してくれたんだけどね! その後ものすごい勢いでお説教されたの! なんだかんだで三時間ぐらい怒られたかしら! 最後には正座のしすぎで足が痺れて立てなくなってね!)
「さ、三時間だと……っ?」
それはさすがに洒落にならん。
「悪かった! とにかくワシが悪かった! ほれ、この通りだ!」
これ以上怒らせて正座三時間コースのお説教を受けるのはあまりに辛い。
なのでワシは、全力で白旗を上げることにした。
「気をつけるから許してくれえぇぇ~!」
土下座せんばかりの勢いで謝ったワシを見て、十分に反省していると判断したのだろう。
メアリはしかたないなという風にため息をつくと、すっと目力を弱めた。
「あら、四つ目がまだでしたのに」
唇を尖らせ、ちょっと残念そうに言ってくる。
「あ、そういえば四つだったか」
怒っている理由が四つある。
メアリはそう前置きをして話し出したのだった。
「せっかくだから言ってしまいますと、わたくしになんの言伝もなく旅立たれたことです」
「うっ……?」
イールギットの時と同じだ。
かつてフィオナが働いた不義理――家出同然でエルフヘイムを飛び出し、一年以上音信不通だった――が、思い出したかのようにザクザクと胸を刺してくる。
「そ、それは悪かっ……」
再び謝ろうと口を開いたワシだが……。
「でも、許します。無事に帰っていらっしゃったことですべて帳消し。ケガもないようですしね」
メアリは唇を綻ばせるようにして笑うと、正面からワシを抱きしめてきた。
淡い花の香りが鼻先をくすぐったかと思うと、エルフ族特有の薄い胸がワシの顔に押し付けられた。
「改めて……お帰りなさいませフィオナさま、わたくしの姫さま」
まるで親族へ向けるような、親しみと感動のこもった声。
「メアリ……」
ワシにとっては今さっき会ったばかりの人物だが、その人柄は十分すぎるほどによくわかった。
万事につけ冷静で厳格だが、それはすべてフィオナのためを思ってのことなのだ。
フィオナがいなくなれば悲しいし、戻ってくればこのように優しく温かく抱きしめてくれる。
「背が低いことを気にされているようですが、わたくしから見るとずいぶん伸びましたよ。体も丈夫になったご様子で、正直ほっとしております。姫さまは行動力の割に華奢で、大きなケガをしなければいいなといつも気を揉んでおりましたから」
(メアリぃぃ~……)
メアリの真心が伝わったのだろう、フィオナは涙まじりの声を漏らしている。
(ごめんね、急にいなくなっちゃってえぇぇ~)
その声はしかし、メアリには届かない。
体を使っているのはあくまでワシであって、フィオナではない。
だからワシが、代わりに伝えてやることにした。
フィオナの意志を、メアリにそのまま。
「ああ……すまんな。急にいなくなって。……おいフィオナ、他になにか伝えたいことはないか?」
(毎日やりなさいって言われてた宿題、けっきょくやってないけどごめんねえぇぇぇ~)
「毎日やりなさいって言われてた宿題を……いや、なんでもない」
それ絶対、怒られるやつだろ。
「他にはないのか? なるべくもっと伝えやすいやつで」
絶対にメアリに聞かれないような小声で、ワシは訊ねた。
勇者学院の生徒としても、世界樹再生官としても、ここに長い間とどまっていることはできない。
事が終わればハイドラ王国へ戻らねばならず、世界樹再生の道しるべを探さなければならない。
次にメアリに会えるのははたして一年後か二年後か……。
だからこそ、滞在中はできるだけ話しをさせてやろうと思ったのだ。
(メアリが大事にしてた手鏡で羽根つきしてたら割っちゃったの、黙っててごめんねえぇぇぇぇ~)
「だからもっと伝えやすい内容にしろ。怒られるのはワシなのだぞ?」
(だってだって、思い返してみたらごめんなさいな出来事しかないんだも~ん)
「……そりゃあまあ、こういう関係性にもなるわな」
そんなことを思いながらワシらは、朝飯前のひと時を過ごしていた――
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