「冒険の書二百九十六:ヴァネッサはホッと安堵の息を吐いた」
~~~ヴァネッサ視点~~~
ディアナが祈りを捧げている森とは尾根をひとつ挟んで反対側の森を、ヴァネッサたちは逃げていた。
日が暮れ、辺りにはすでに夜の帳が降りている。
星明かりや月明かりなどの微細な明かりを増幅して取り込む『梟の目』の術のおかげで視界は十分に確保できているが、追手は森と共に生き森と共に死すエルフたちだ。
木の根の張り具合、枯れ葉の下の窪み具合や襲撃に適したポイントなど、周辺一帯のすべてを把握している。
結果、ヴァネッサたちは何度も追いつかれ、そのつど辛くも撃退するということを繰り返していた。
そうこうするうち――一時間。
「もう追ってはこないようね……」
振り返って目を凝らすが、新手の来る気配はない。
足音も呼吸音も、自分たちのものしか聞こえてこない。
「エルフヘイムを侵された恨みとはいえ、勝ち戦だからね。無理して死にたい奴ばかりでもないってとこかしら」
エルフたちの思惑を見抜いたヴァネッサは足を止め呼吸を整えると、ギイが追いついてくるのを待った。
普段ならヴァネッサと同じかそれ以上の速度で走ることのできるギイだが、今はさすがに厳しいらしく、時おりこうして待ってやらなければならないのだ。
「ど~う? あんたの腕の調子は?」
「ん……もう大丈夫だ。完璧とまではいかないが、戦いに不自由しない程度にはつながっている感覚がある」
追いついたギイは、試しに大剣を振り回している。
ブンブン、ブンブン、ブンブンブンッ。
触れるものすべてを斬り飛ばすような凄まじい勢いだが、ギイは不服そうに唇を尖らせた。
「本気の戦いとなると、話は別だがな」
イールギットやディアナなどの強敵との戦いを想定しているのだろう、その表情には隠しきれぬ悔しさが窺える。
「ああくそっ……この我が、敵から逃げるなどという醜態を晒すことになるとはな……っ」
「ちょっと、いきなり引き返して『いざ尋常の勝負を!』とか言わないわよね?」
「バカにするな。我とて退き際ぐらいは心得ておる」
「じ~……」
ヴァネッサの冷たい視線に動揺するギイ。
「ほ、ホントだぞ? 本調子でないのにもかかわらず敵の本拠地に単身で乗り込んで命を散らすほど向こう見ずではないわ」
「あらそう。よかったわ、これからも組んでいかなきゃならない相方が底抜けのバカでなくて」
ヴァネッサは肩を竦めた。
対人戦においては抜群の実力を誇るギイだが、少々扱いづらい部分がある。
それは、強さを求めるあまり強敵との戦いに夢中になりすぎる点だ。
組んで戦おうとすれば「邪魔するな」と怒り出すし、逃げようと促せば「逃げたくない」と駄々をこねる。実際にはいい歳なのに、涙ぐんだりもする。
今回の戦いに関してもそうだ。やり方次第ではもっと上手く戦えたし、もっと早く撤退することはできたはずなのだ。
ギイがああだこうだと騒ぐから、後手に後手にと回ってしまった。
それらはもちろん、すべて結果論ではあるのだけれど……。
(まあ~でも、あんまり言うとへそを曲げるしね……。そのせいでついて来てくれなくなっても困るし? あ~あ、これが管理職の苦悩ってやつ? めんどくさっ)
ヴァネッサがため息をつきつき走り出すと。
「おい、これからどこに行くのだ?」
走り出したヴァネッサの横に、ギイがピタリ張り付くように並走してくる。
「まずは『千年結界』を突破して、撤退中の『攻略軍』に合流するの。そんでもって、エルフの勢力圏を抜けたらいったん離脱、『暗黒の深遠』に立ち寄る予定よ」
「ダークエルフどもの本拠地に戻るだと? なんだってまた?」
メルキオラに――見た目の迫力とは裏腹に、ギイを溺愛するダークエルフの国王に――会いたくないのだろう、ギイが「うええ……」と嫌そうな顔をする。
「しかたないでしょ。このまま『新魔王城』に戻ったら敗戦の責任を背負わされちゃうだけだもの。カルラが生きてれば全責任をおっ被せられるかもだけど、王の間からあの弱カスが単身で逃げられるとは思えないし……」
このまま帰れば、失敗続きのヴァネッサは処刑されてしまうかもしれない。
途中でどうしてもワンクッション挟む必要があるのだ。
「わかる? わたしたちの後ろ盾になってくれる大物が欲しいのよ。『たしかに失敗はしたけど、わたしたちはよくやってるから許してくれ』と言ってくれるような大物が。それこそ、あんたのお父さんはうってつけの人材ってわけ」
「『闇の星メルキオラ』か……」
ダークエルフの国王メルキオラは人魔決戦でも活躍した魔族の大英雄だ。
武勇に秀で、魔術に卓越し、知恵が働く。
その言葉には、かつての魔王アスラ・メギドですら一目置くほどの力があった。
「あいつの可愛がりかた……しつこくて嫌なんだが……」
「我慢しなさいよそれぐらい」
げんなりと呻くギイに、冷酷にツッコむヴァネッサ。
「それに、身代金交渉も進めなきゃでしょ」
「みのしろきんこうしょう~?」
思ってもみなかったのだろう単語に、ポカンとするギイ。
「ほら、捕まっちゃったでしょ。あんたの取り巻きの『ギイさま♡ファンクラブ』だっけ」
ギイにミニスカドレスを着させて怪しまれずに『翠星宮』へと侵入させるため、ヴァネッサは『暗黒の深遠』からメイドたちと騎士たちを連れてきた。
ギイに心酔する彼女ら/彼らはギイの非公式ファンクラブ会員であったが、『翠星珠』を巡る攻防で敗北し、あるいは逃げ遅れて捕まってしまったのだ。
「ただのダークエルフなら放っておけばいいんだけど、あいつらってダークエルフの貴族とか商人みたいな裕福な家の子どもばっかりでしょ。このまま見殺しってわけにもいかないのよ」
「ああ~……なるほどなあ~……」
敵側に捕まってしまった裕福な貴族の子弟を、身代金と引き換えに返してもらう。
それ自体はごくごく一般的な戦場作法だが、窓口がうんと言わなければ窓口自体が開かない。
「メルキオラはそうとーな頑固者だからなあ~……。憎きエルフに頭を下げるぐらいなら部下など余裕で切り捨てかねんからなあ~……」
「でしょ? それにさ、|ギイさま♡ファンクラブ《あいつら》、脱出の時に色々してくれたじゃない。急にエルフたちに掴みかかったり噛みついたり……。今考えてみると、あれってあんたを逃がそうとしてたのよね」
「あああ~……」
思い当たる節があるのだろう、ギイは頭を抱えて唸っている。
「人情なんて、魔族には似合わない言葉だけどね。でもまあ、まったくの皆無ってわけじゃないでしょ。打算的に考えても、あの子らを助けるのは意味あることだし……」
メルキオラに望むのはふたつ。
ひとつはヴァネッサの後ろ盾になってもらうこと、もうひとつは後の備えとしてファンクラブ会員の身柄を買ってもらうことだ。
そしてそのためには、ギイが体を張って頼み込む必要がある。
ヴァネッサの語る言葉の真意に……自分が何を求められているかに気づいたギイは、恐る恐るといった調子で聞いてきた。
「メルキオラに頭を下げて頼めばいい……のか?」
「ダメよそんなんじゃ。大枚はたいて二十数人分の捕虜を買い戻すんだもの。思い切りおねだりし ないと」
「うええええぇ~……?」
思い切り嫌そうな顔をするギイだが、「やだ、そこまでしたくない」と駄々をこねたりはしない。
ヴァネッサについてはともかく、自分のために体を張ってくれた皆への恩を感じてはいるようだ。
(……ま、良くも悪くも武人らしいというか……)
どうやら自分の思い通りに事が運びそうだと、ヴァネッサはホッと安堵の息を吐いた。
ついでに多少の溜飲を下げようと、ギイをからかうことに決めた。
「今回の衣装はボロボロになっちゃったけど、あの路線で攻めるのがいいと思うのよね。可愛いドレスを着て、こてんと首を傾げて、唇に人差し指を当てて『おとーさま、おねがい♡』って」
「いやだあああ~……」
「それでダメそうなら、ぎゅっとメルキオラの袖を掴んで上目遣いになって『……ダメ?』でとどめよ」
「うっそだろおぉぉぉ~……?」
ヴァネッサのからかいに、ギイは頭を抱えて呻いた。
あまりに辛かったのだろう、しまいには……。
「うう……っ。同じ転生者でもガルムの奴はこんな苦悩などしておらんのだろうなあ~……」
関係のないガルムのことを恨み出したが、実際には『どっちもどっち』だった。
そう気づくのは、今しばらく後のこととなる……。
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