「冒険の書二百九十五:ディアナは祈りを捧げた」
マリアベルと共にワイ助の背に乗り、木々の間をしばらく飛んだ。
翠星宮の裏手の森でワシらが目にしたのは、ドロガロンがカルラという女幹部の頭を齧った瞬間だった。
美味いのかどうかはわからん。
だがドロガロンは、満足げにカルラを口にしていた。
首、胴体、下半身、つま先という順番に飲み込んでいく。
哀れな死にざまだが、ちょうどいいと言えばちょうどいい。
獲物を食す時こそが、捕食者にとって最も隙のできる瞬間だから――
回避もできず防御もできない、まったく無防備な瞬間だから――
「ひっ……? み、味方を喰ってる……っ? なんでっ?」
「やれ、マリアベル。石化だ」
動揺するマリアベルの後頭部をガシッと掴むと、無理やりドロガロンへ目を向けさせた。
「で、でも師匠……ロック鳥などという伝説の魔獣相手に妾ごときの『邪眼』が通じるかどうか……っ?」
「大丈夫だ、やれ。おまえを信じるワシを信じろ」
「わ、わかったっ」
おっかなびっくりながらも、マリアベルは指示通りに『邪眼』を飛ばした。
七つある効果の中から選んだのは『石化』。
はたして、効果は即座に表れた。
ロック鳥の――ドロガロンの頭全体がピシリと音を立てて石化した。
「み、見たか師匠っ。妾の邪眼が効いたぞっ。伝説のロック鳥を……抵抗されることもなく一発でっ? え……ホントにっ?」
まさか本当に効くとは思っていなかったのだろう、マリアベルは目を丸くして驚いている。
「うむ、見事だ。成長したなマリアベル」
勝因はふたつある。
ひとつは相手が食事に夢中で隙だらけだったこと。
もうひとつは、単純に弱っていたことだ。
竜種の生命力とロック鳥の生命力を兼ね備えたドロガロンといえど、頭ひとつとなってしまってはさすがに力を保持できず、結果として邪眼に耐えきれなかったというわけだ。
とはいえ、今それを指摘するべきではないだろう。
マリアベルの戦士としての自信を育てるためにも、今はただ純粋に功績のみを褒めるべきだろう。
様々な敵様々な状況への対応や心構えなどについては、後ほどゆっくり説明してやればよい。
「さて……ドロガロンよ、おまえとしては心外だろうな」
ワイ助の背から飛び降りると、ワシは石化したドロガロンに近づいた。
「泥の、とはいえ竜種として。リトニア川に君臨する王として。こんな終わり方は想定していなかったことだろう」
ドロガロンの頬にそっと触れながら、ワシは言った。
「ワシもな、本来ならば尋常な勝負の上でおまえを倒したかった。他に転生する力が残らないぐらいまでに徹底的に打ちのめし、この手でとどめを刺してやりたかった。――だが、状況が許してくれんのだ。今やワシはエルフの姫。かつ、めんどう極まりない祖父やらエルフ族の信頼やら責任やらを背負わなければならん立場にある」
ワシはため息をついた。
やり口はどうあれ、在り方はどうあれ、ドロガロンは強敵だった。
敬意を払うべき、脅威の生命体だった。
にもかかわらず――
「問題は、おまえが強すぎたことなのだ。喰えば喰うほどに強くなり、喰えば喰うほどに賢くなる。今ここで見逃せば、次に会う時にはかつての『魔王アスラ・メギド』すら超える器になりかねん。人と魔の勢力図すら塗り替えかねん。だからこそ、まだ小さな芽のうちに摘まなければならんかったのだ。そのためのこれが、最も効率よい殺害方法だったというわけだ。実につまらん話だが、しかたなかったのだ」
ワシは口元を歪めた。
他人の力を借りて好敵手を仕留めようとする自分を、言い訳まで重ねて保身を計ろうとする醜き自分を、嘲笑った。
「苦情はあの世で聞こう。何百年が過ぎ、何千年が過ぎた後。あるいはワシがとんでもないヘマをやらかして死んだ後の世界で、また会おう。その時はせいぜい、恨みをぶつけてくるがいい。その上で今度こそ、思う存分に殺し合おうではないか」
同じ転生者同士として……とは、さすがに言えんがな。
「……師匠? 大丈夫か?」
「……キャー?」
おっと、変に心配させてしまっても悪いか。
ピピに会うという用事も待っていることだし、ここは迅速に済ませてしまおう。
「さて、いくぞ――万が一にも他に転生できぬよう、石と化した上で粉々に打ち砕いてやる」
手を伸ばすと、ドロガロンの頬にピタリと触れた。
いったん引くと、スウと息を吸い込んだ。
「『ドラゴ砕術――空心掌』!」
ズシンと大地を踏みしめるように腰を落とした。
掌底を突き出し、ドロガロンの側頭部に触れた。
鋭く空気を、吐き出した。
瞬間――ビシリと鈍い音がした。
ドロガロンの頬に打ち込んだ『勁』が――気を伴う力の流れが衝撃波となり、同心円状に広がっていく。
勁は破壊的な力をドロガロンの頭に均等に行き渡らせ、カルラの体ともども粉砕した。
転生する隙も与えず、ふたつの生命を同時に終わらせた。
粉砕された体は遺灰を思わせる粉末状となり、ザザ~ッとばかりに流れ落ちていく。
ビョウと強い風が吹き、それらをさらっていく。
エルフヘイムや深遠樹海に脅威をもたらしたふたりの遺灰を、どこか遠くへ。
「……終わったな。これでもう、転生することはあるまい」
ようやく、ひとつの結末がついた。
ドロガロンが死に、女幹部が死んだ。
闇の軍団は去り、エルフヘイムに平和が訪れた。
「だからといって死んだ命は蘇らんし、壊れたものもすぐには元に戻せん。だが、大人はまた子を産み落とすだろう。草木はまた芽を伸ばすだろう。建物はまた建てればいいし、畑はまた耕せばいい。命は受け継がれていくのだ」
世界樹ですら、翠星珠を代替わりする形で復活した。
今はまだ全盛期ほどの力はないだろうが、いずれは力強く枝葉を伸ばしてくれるに違いない。
「これからのエルフヘイムはきっと、さらなる繁栄を迎えるだろう。ワシもできることはする……だから皆、どうか安らかに眠ってくれ」
片手を立てて拝んだ。
戦いの中で命を落とした者たちへ、祈りを捧げた。
「キャー! キャー! キャー!」
ワイ助が高く鳴いた。
本人にその気はないだろうが、死者の命を弔う十点鐘のように、十度。
翠星宮にほど近い神聖な森の中で、高く、高く。
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