「冒険の書二百九十二:可愛くあいさつしてみた」
イールギットの凄まじい形相に、ワシは思わず唸った。
「ううむ、これはまずいことになってしまったかもしれんのう~……」
なにせあれだけのことをしたのだ。
『大賢者』だ『大魔術師』だ『智慧の実を食した者』だとさんざんに褒めそやされてきた知恵者が、フィオナの異変に気づかぬはずがない。
正体がワシだとまではわからんかもしれんが、『孫娘の体の中によからぬ者がいる』ぐらいのことは想像がつくはずだ。
そしてそうなれば……。
「殺す……だけでは済むまい。拘束し、なんとしてでも孫娘を取り戻そうとするはずだ。そのためなら手段は選ばんだろう。水責めや火責めで追い出す……様々な薬品や魔術を駆使して無理やり引き剝がす……なにをどうされても、おかしくはないな」
魔族ですら泣き出すだろう恐るべき光景を想像したワシは、ゴクリと唾を飲んだ。
「もちろん抵抗はさせてもらうがな……人魔決戦時代の力をそっくりそのまま残している奴相手に、この体ではたしてどこまれやれるか……?」
イールギットにバレぬよう、わずかに腰を落とした。
踵を浮かせ、前後左右どちらへでも動けるよう身構えた。
初撃を躱した後の二撃三撃、四撃五撃まであることを想定し、準備した。
それぐらいの用意で足りる相手かどうかはわからんが……ま、やれるだけやってみるとしよう。
(あ、なんか勘違いしてる? 大丈夫よ。へーきへーき)
緊張するワシに、フィオナが気楽な調子で話しかけてきた。
(あのね、おじーちゃんってば感情表現がヘタなの。特に好きの感情があふれちゃうと、ああいう風になっちゃうの)
「……は? 好きがあふれる? こちらに好意があるという意味か? あの顔で? 不機嫌な肉食獣みたいな目でこっちを見とるのに?」
(なによ、寝起きを起こされた犬みたいで可愛いじゃない)
「可愛い犬うぅぅぅ~? あれがあぁぁぁ~?」
眉間に皺を寄せて、ギリギリと奥歯を噛みしめて。
殺意のこもった目つきでこちらをにらみつけているこいつがあぁぁぁ~?
(ともかく、試しにやってみなさいよ。手をひょいっと上げて「ただいま、おじーちゃんっ」って可愛く言うの。そしたらあふれた好きが爆発して、満開の花が咲いたみたいになるから)
「ええ……」
(首を傾げながらだと最高得点ね。お小遣いだってくれるかも)
「いや……別にいらんけど……」
色々と納得いかない部分はあるが、実の孫娘が言うのなら間違いなかろう。
その程度のことで警戒が解け、この状況を打開できるなら……。
かなり恥ずかしくはあるが、こんなとこで死ぬわけにもいかんしな……。
ええと……片手をひょいっと上げて……首をかしげて……?
「た、ただいま……おじー………………ちゃん? くっ……世界最強を目指す武人がまさかこんな真似をすることになるとは……なんたる屈辱か……っ?」
ワシの苦悶の呻きはともかくとして、その瞬間のイールギットの変化といったらなかった。
目から険しさが消え、眉間の皺が消え、不機嫌そうに噛み合わされていた口もとにパッと笑みが浮かんだ。
もともとが絶世の美男子なものだから、まるで満開の花が咲いたように見えた。
周りにいたエルフの女たちが、キャアと黄色い声を上げるほどだった。
「おおお~! フィオナよ、可愛い可愛い孫娘よ! よく帰ってきたなあ~!」
イールギットはガシッとばかりにワシの肩を掴むと……。
「ワタシはなあ、心配していたのだよ! いつもひとりで図書館にこもっていて、人と話すどころか目を合わせることすら困難だったおまえが供も連れずに旅に出て! はたして無事にやっていけるのかとなあ~!」
いつも文句ばかりいつもしかめっ面ばかりのあのイールギットはどこへやら。
ニヤニヤニヤニヤとだらしない笑みを浮かべている。
「だが、すべては誤解だった! ワタシの見積もりが甘かった! おまえはワタシの想像以上に強く! 丈夫で! 驚くほどの伸びしろを持っていて! 敵に恐怖し逃げ惑う皆を指揮する視野の広さや賢さを持っていて! ワイバーンを使役するどころかロック鳥すら撃滅する戦闘力をもっていて! こうして立派に、皆の前に帰ってきた!」
イールギットはワシの腰を掴むと、ガバッとばかりに持ち上げた。
肩に担ぐと、皆に見せびらかすかのようにその場を何周もした。
「あっははははは! 悪かったなあ~フィオナ! おまえは立派だ! ワタシの愛する、最高の孫娘だ! そら、皆も称えるがいいフィオナの偉業を! おまえたちが今こうして生きているのは、今後も無事に生活できるのは、この子のおかげなのだぞ!」
命の危機を脱することができたのはよかったが、かつての宿敵に猫可愛がりされるのは素直に気持ちが悪い。
ワシは思わず「うげえ……」と呻いた。
一方、ひさしぶりの再会を果たしたフィオナは……。
(ま、こうなるのは知ってたけどね……)
やれやれとばかりにため息をついたかと思うと……。
(あ、でも納得いかないこともある。わたし別に、そんなにコミュ障じゃないし……)
祖父からの評価に納得いかぬと、ぶつぶつぶつぶつつぶやいていた。
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