「冒険の書二百九十一:誰かの視線」
謎の言葉を発しながらどこかへ飛んでいったチェルチ。
体調に異常があるようには見えないので、どちらかといえば精神の問題だろう。
直近で最もあやつに影響を与えただろう事件というと……。
「どう考えても、一連の戦闘の影響だろうな。敵味方の被害で心を病んで、急にわけのわからんことを言い出したり、急に笑い出したり……。最前線の兵士にはよくある現象だ。戻ってきたらもっと優しくしてやろう。肩を組んで、声をかけて、心を解きほぐしてやって……ワシらは仲間だからな。大事にしてやらねばな」
うむとうなずいているところへ、また誰かが駆けてきた。
「師匠お帰り! よく無事に戻って来られたね!」
駆けてきたのはルシアンだ。
ついさっきまで激しい戦いに身を投じていたせいだろう、髪がざんばらに乱れ、全身は返り血だらけと、ひどい見た目をしている。
美男子であることを鼻にかけていたちょっと前までのこいつなら、慌てて身だしなみを整えていたところだろうが、無骨をこそい是とするワシの弟子となった今ではそんなそぶりはまったく見せない。
戦士らしく、戦いと勝利の興奮で表情を明るくしながら話しかけてくる。
「どうやって泥竜の腹の中から脱出したんだい? けっこう距離が離れていたはずなのに、どこをどうやって僕らに追いつけたんだいっ? ああもう……聞きたいことばっかりだっ。聞きたいことばっかりなんだけど……でも一番は……っ」
呆れ気味なルシアンの目が、ワシの後ろに座っているワイ助に向いた。
「……君、どうやってワイバーンを手懐けたんだい?」
ワイ助の周りにはエルフたちがわらわらと集まっている。
もちろん物珍しさからではなく、警戒心からだ。
この場で暴れられたら敵わんとばかりに武器を構えているが、ワイ助が平和そのものといった表情を浮かべ、鼻の頭に蝶々などを乗せているのを見て困惑している様子だ。
「詳しく話すと長くなるのだが……いや、そうでもないか?」
考えれてみれば、出会ってからまだ一時間も経っていなかったな。
「ひと言で言うなら、戦場の絆だな。拳を交えたり強敵と共に戦ったりした結果、こうして友になったのだ」
一度は別れたものの、ワシの危機を助けようと戻ってきてくれた。
ロック鳥との戦いや翠星宮の崩壊に巻き込まれる危険を冒してまでついてきてくれた。
もはやただの『乗り物』ではない。今やワイ助は、ワシの大事な友なのだ。
「そ、そんなものかい? そんなことでワイバーンと友だちになれるものかい?」
「なんだったらおまえも今度、乗ってみればいい。体がデカい上に気が利くし頭もいいしで、想像の何倍も乗りやすいぞ」
困惑するルシアンにワイ助の乗り心地の良さについて話していると……。
「……む、誰かの視線を感じるような?」
しかも普通ではない。
強烈な、射貫くような目線を後頭部に感じる。
誰だと思って振り返ってみると、そこにいたのはイールギットだった。
ついさっき力を合わせてドロガロンを倒したばかりのかつての仲間が、機嫌の悪い肉食獣みたいな目をこちらに向けている。
「なんだあれ……とてもじゃないが肉親に……孫娘に向けていいような目ではないぞ……って、あ……? そうか、ワシってば……っ?」
周りに被害を出さずにドロガロンを止めるためとはいえ、ドワーフ時代のノリで合わせ技を使ってしまった。
ワシとイールギットしか知らないはずの技を、ディアナ(フィオナ)のままで。
「ううむ、これはまずいことになってしまったかもしれんのう……」
孫と爺の間に生じた重大な疑義に気づいたワシは、ううむと唸った。




