「冒険の書二百八十八:天地返し」
人魔決戦の始まる、ちょっと前のことだった。
魔王城へ向かう途中に広がるゴルゴラム平野で、アレス率いる勇者パーティは一匹の竜――『嵐竜ヘイルガン』と対峙した。
その中には当然、ワシもいた。
巨大な翼で空を飛び、硬い鱗で身を鎧う竜種。
爪や牙、尻尾やブレスなどの強烈な攻撃手段を持つというだけでも相当な強敵だが、ヘイルガンはさらに『自在に嵐を操れる』能力まで備えていた。
しかも、ただの嵐ではない。
颶風とでも呼ぶべき威力で、粗末な小屋や牛程度なら簡単に吹き飛ばしてしまう。
嵐は激しい雷を伴うため、巻き込まれればただでは済まない。
下手をすると、完全武装の一個旅団でさえ全滅しかねない。
当然だが、戦いは熾烈を極めた。
アレスを始めとしたパーティメンバーのほぼ全員が一度は死にかけ、全滅の二文字が何度も頭をよぎっった。
そんな中、勝敗の決め手となったのはワシの奇襲だった。
クルシュが囮となり、マーファとイールギットが援護した。
そこへアレスが、強烈な側面攻撃を仕掛けた。
聖剣ライトブリンガーによる天地も斬り裂かんばかりの一撃を逃れようとヘイルガンが空へ飛んだところへ、水溜りに浸かって死んだフリをしていたワシが後ろから跳びついたのだ。
ワシ単体のジャンプでは高さが足りなかったが、マーファとイールギットによる人類最高レベルの『身体強化術』がかかっていたおかげでなんとか足りた。
背中に取り付いてからは、ワシの独壇場だった。
身体構造上、背中にいる敵へは攻撃出来ないものだから。
生物の頂点に立つ竜種であったとしても、それは変わらないものだから。
全盛期のワシの強烈な攻撃を真後ろから喰らい続けたヘイルガンは堪らず絶命したが、ひとりでは死なぬとばかりの大滑空を敢行した。
狙いは、運悪くその場に居合わせた避難民の一行だ。
住んでいた村を焼け出され、失意を抱きながら安全な街を目指していたところへヘイルガンが特攻をかけていった。
巨大な竜種との衝突、さらに嵐にも巻き込まれるとなっては堪らない。
避難民たちは全滅するだろう。
大人に赤子に老爺に老婆、一切の分け隔てなく死ぬだろう。
ヘイルガンを止めるために行ったのが『天地返し』だ。
旅の最中に冗談で語っていた『通常の手段では押しとどめられない巨大な魔獣の突撃を止めるための手段』。
本来ならばアレスとイールギットで行うのを前提としていた合わせ技を、ワシとイールギットが即興で行ったのだ。
いつも仲が悪く、顔を合わせるたび悪口ばかり言い合っていたワシらが、あの時ばかりは一心同体になった。
戦闘後にニヤリと笑い合いながら、手と手を打ち合わせた。
そして――今、この時。
ワシが覚えているぐらいだ、記憶力のよいイールギットなら当然の如く覚えているだろう。
五十年前のあの日の出来事を、ヘイルガンを如何にして止めたかを。
だから当然、合わせてくれることだろう――たとえぶっつけ本番でも。
「イィィィィィィィィィルギット!」
ワシは叫んだ、思い切り。
「合わせろ! 『天地返し』だ!」
「…………っ!?」
驚きで目を見開いたイールギットだが、すぐに冷静な顔になった。
白木の杖を目の前に立てると、呪文を詠唱し始めた。
「『聞けよ者ども、始源の約定は今、解かれた――』
たいがいの術なら詠唱破棄して撃ってしまう奴にしては珍しい……いや、それだけ集中を要するということなのだろう。
「『塵は塵に返るだろう、灰は灰に返るだろう――』」
その間にワシは、己のなすべきことをした。
三叉矛をドロガロンの頚椎に刺し込むと、強く捻じった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……っ!?」
神経束が傷つけられたことによる生体反射で、ドロガロンの首が大きくのけ反り、羽根が広がった。
本人の意図とは関係ない無意識の行動のおかげで空気抵抗が産まれ、滑空速度が大きく落ちた――狙いやすい的となった。
「ワイ助! 思い切り飛べ!」
生体反射による速度の低下を確認したワシは、ワイ助の背に跳び乗るなり身を伏せた。
「キャー!」
ワイ助が横へスライドするようにすっ飛び、そして――
「『血も肉も骨も、人の記憶すらも無に帰す時が来たのだ――万象崩壊』!」
イールギットがカッと目を見開いた瞬間、耳を劈くような音が鳴り響いた。
ドカンでもズドンでもない、とにかく凄まじい音がした。
イールギットが復活させた古代魔術である万象崩壊の効果は『存在の崩壊』。
どれだけ硬い鎧だろうと、どれだけぶ厚い結界だろうと構わず『全てを消失させる』。
その威力の前にはドロガロンの、ロック鳥の巨体ですら無力だった。
ふと気づいた時には消えていた。
頭部と両足、羽根の一部だけを残して、この世から。
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