「冒険の書二百八十一:ルルカは誰かの声を聞いた」
~~~ルルカ視点~~~
イールギットさまの超級魔術は凄まじく、壁や床や天井の一部ごと、空間をゴッソリと切り取った。
そこにあった空気まで消えてしまったのだろう、ゴウと吸い込まれるような風の流れが辺りに生じた。
ついさっきまでそこら中に溢れかえっていた『万孵の卵』の姿はどこにもない。
一匹からでも倍々で増えて、いずれは国や世界を飲み込むだろう最悪の魔物を見逃しちゃダメだよねと思って床下や壁の裏なんかも覗いてみたけど……うん、大丈夫。
「もうどこにもいない……みたいです」
わたしの言葉を聞いたみんなが、歓声を上げた。
「やった! さすがイールギットさま!」
「なんと凄まじい魔術の冴え! 憎き卵どもが全滅だ!」
「人族の娘もよくやったぞ! これで我らの勝ちだ!」
みんなの顔には、紛れもない勝利の確信が輝いている。
無理もないよね。
敵の主力であるギイとダークエルフの女騎士がまだ健在とはいえ、こちらにはイールギットさまがいるんだもん。
ルシアンさんもいるしエルフの騎士さんたちもいるし、チェルチちゃんやわたしだっているんだもん。
そもそもここは、エルフヘイムの中枢だしね。
敵の増援は考えづらく、対するわたしたちにはいくらでも味方がいる。
どう考えたって、こちらの有利は動かない。
にもかかわらず、敵は余裕の表情を崩さないんだよね。
ギイは相変わらずイールギットさまと戦いたくてうずうずしてる様子だし、ダークエルフの女騎士はニヤリ、わたしたちを小馬鹿にするように笑うと……。
「ふん、こんな小さな勝利に浮かれるなんて、おめでたい連中ね。考えてもみなさいな。『翠星珠』は破壊された。維持に膨大な魔力が必要となる『千年結界』は失われた。そしたらどうなると思う? ――大侵攻の始まりよ」
「……だ、だ、だ、大侵攻っ!? それってどうゆーことっ!?」
「総数三万にも及ぶ『闇の軍団』のエルフヘイム攻略軍が押し寄せて来るのよ。森を焼き、家々を破壊し、エルフどもを蹂躙しながらやって来るの。世界樹の加護を失ったあなたたちに出来ることなんて何も無いわ。一夜にして、エルフヘイムは灰燼と帰すのよ」
「さ、さ、さ、三万んんんん~っ!?」
あまりの敵の数に、呆気にとられるわたし。
パラサーティアでの件もあるし、もしかしたらそうゆー展開もあるかなと思ってはいたけど、まさかそんなにたくさんいるなんて……。
「うううぅっ……これは大大大ピンチだよおぉぉ~っ」
動揺してるのはわたしだけじゃない。
その場にいるみんなも同様だった。
「三万だと? とんでもない大軍だ」
「ウソを言ってるんじゃないのか? いくらなんでも……」
「い、いい今すぐ確かめなければ、俺はひとまず上に行くぞっ」
棒立ちになる人、女騎士の発言の真偽を確かめようとぎゃあぎゃあ騒ぐ人、今すぐ地上へ戻って確かめねばと走り出す人などなど。
とにかくみんな、てんでバラバラに動き始めた。
指揮も統制もあったもんじゃない。数は変わってないのに、戦力はガタ落ちだ。
そんな中――
「落ち着け、皆の者」
イールギットさまが、落ち着きはらった口調で言った。
氷のような冷たい声で、ポツリ、ポツリと。
「三万もの軍勢が一度に押し寄せられるわけがない。複雑に入り組んだ『深淵樹海』を踏破するのは困難だし、襲い来る『意志ある木々や精霊たち』も強敵だろう。『大外壁』を突破するのは、なおさら容易な業ではない。つまり、ある程度の時間はあるということだ。その間に『千年結界』を張り直せばいい、簡単な理屈だろうが」
「時間はあるですって!? 張り直すですって!? あんたね、適当なこと言うんじゃないわよっ! あれだけの結界を維持するのにどれだけ魔力が必要だと思ってるの! 魔術に長けたエルフどもがいくら力を合わせたところで……! そもそもの魔力供給がなければ……っ!」
「……適当? こいつを見てから言うのだな」
「いったい何を言って………………ハッ?」
イールギットさまの言葉を否定しようとした女騎士の目が、驚愕に見開かれた。
なんだろと思って目線を追うと、階段の上から白い霧が降りてきた。
ブワ~ッとすごい勢いで部屋中に広がっていく。
「なんだこれは……? ただの霧……じゃない? 魔力と……これは……生命力? どうしてこんなに……ここまで濃密なものが? いったいどこから?」
女騎士の言う通りだった。
その霧には魔力だけでなく、生命力が満ちていた。
ひと吸いするだけで体が元気になるような、かすり傷程度なら一瞬で治してしまうような、とにかく濃密な、力の源が含まれていたんだ。
「世界樹はな、種が絶えぬよう常に保険をかけているのだ。自らの子を世界中に送り出して分身を育成する他、母樹自身が危機に陥った際に自らの代替わりをさせるための強制召集能力まで備えているのだ。この霧こそがその保険だ。世界中に送り出した苗木を分解し、吸収しやすくしたものだ。翠星珠の欠片を台座にして芽吹かせ、新たな翠星珠とするためのな」
「ば、バカ言わないで! そんな話、聞いたこともないわよ!?」
「『始原の歌の書』、エルフ族に伝わる古書にはこう記されている。『母の危機なる時、天涯に放たれし子らは霧となりて帰還するなり。揺りかごにて芽吹き、代を継ぐなり。かくして世界樹の永劫は保たれる』とな。まあ五千年を生きるワタシにしても初めて目にする光景には違いないが……」
そうこうしてる間にも、霧は翠星珠の欠片に吸い込まれていく。
集まり固まり、白い燐光を発する繭を形成していく。
「すごい……これが翠星珠の代替わり……?」
驚くわたしの耳もとで、誰かが囁いた。
――大丈夫だよ、ピピたちに任せて。
その声は、霧の中から聞こえてきた。
聞き覚えのない、小さな女の子の声だった。
声は楽し気に笑ったかと思うと、そのまま翠星珠に吸い込まれた。
その後は二度と、聞こえなくなった。
「ピピ……ちゃん?」
知らない名前だ。
だけど絶対、忘れないようにしようと思った。
うまくは説明できないけど、大事なことのような気がしたので。
「――さて、状況は理解できたか?」
イールギットさまはニヤリ笑うと、白木の杖の先端を女騎士に向けた。
「貴様らは貴重な戦力を失った。ワタシたちは翠星珠を失ったが、すぐ次が控えている。貴様らは大軍で攻め寄せているが、ワタシたちはすぐに防御の要を復活させる。つまりここから先は時間の勝負というわけだが、『地の利と人の利』はこちらにある」
「ぐぬぬぬぬぬ……っ! 何よ、ちょっと有利になったぐらいでっ! さっきまで絶望顔してたくせにっ!」
地団駄踏んで悔しがる女騎士はさて置き、イールギットさまはわたしに声をかけてきた。
「おい、人族の娘」
「は、はいっ! すいませんごめんなさいっ! わたしが翠星珠を護りきれなかったせいでこんなことになっちゃって……っ!」
そりゃ怒るよね。
わたしがポカしなかったらそもそもこんな状況に追い込まれていないわけだし……。
罰はなんだろ? 罰金とか禁固刑とか……もしかしたら、死刑とかもあり得る?
そ、それはさすがに嫌だなあぁぁ~……。
「な、なるべく穏便なやつで済ませてもらえませんでしょうか? 反省文百枚……千枚ぐらいの提出でなんとか? グラウンド百周……千周とかでも?」
「反省文……グラウンド? 何を言っているのだおまえは?」
わたしの言葉に、イールギットさまは呆れたような顔をした。
やれやれとばかりに息を吐きながら言った。
「あのな、別に責めようとしているわけではないのだぞ? 初見であの異形の魔物の攻撃を防げる者など、この世にいまい。そうではなく、おまえの名を聞きたいと思ったのだ」
「名前? 名前……ですか?」
よかった、責められてるわけじゃないんだ。
でもどうして、わたしなんかの名前を……?
「えっと……ルルカ……ですけど……」
「ルルカか。よし、覚えたぞ」
イールギットさまはうむと大きくうなずくと、目の端を笑みの形に歪めてみせた。
どこか懐かし気に、楽し気に。
かつての友人の弟子に、語りかけるかのように。
「認めてやる。おまえは強い僧侶だ。その聖気の輝きは、かつての仲間であるマーファのそれにも劣らん。実力では未だ及ばんだろうが、己の弱さを知りながら戦い続けるその勇気は賞賛に値する。誇るがいい、ルルカよ。おまえはな、ワタシが認めた、この世でふたり目の僧侶だ」
「…………っ!!!?」
わたしは言葉を失った。
嬉しさのあまり、泣いちゃいそうになった。
だって、こんなに栄誉なことなんて他にないもん。
伝説の勇者パーティにいた世界最強の魔術師に名前を覚えられて褒められるなんて、しかもあのマーファさまと比較しても悪くないとまで認めてもらえるなんて。
だけど今は戦いの最中なので、喜んでばかりいるわけにもいかないので……。
「はい! ありがとうございますっ!」
嬉しさや喜びはいったん、胸の奥にしまっておくことにした。
あとでディアナちゃんに会った時に自慢しようって、頭を撫でて褒めてもらおうなんて思いながら。
「……ルルカおまえ、隠してるつもりで隠せてないからな。顔ニッコニコだから。ものすごいだらしない顔してるから」
「ええ~? そう~? へへ、えへへへ~……」
「ったく、あんな気難しいエルフのジジイのどこがいいのかね」
チェルチちゃんの鋭いツッコミはともかく、わたしは改めて敵に対した。
戦鎚を構えながら、勢いよく叫んだ。
「と、ともかくいくよチェルチちゃん! 新しい翠星珠を護りながら、敵を押し返すんだ!」
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