「冒険の書二百七十一:ピピの身に起きたこと」
「ダメえぇぇぇぇ~!」
マリアベルの悲鳴じみた声が、辺りに響き渡った。
今まさにドロガロンにとどめを刺そうとしていたワシだ。
さすがに構っている暇はないから無視しようとしたのだが……。
「師匠! 師匠頼む! ピピを止めてくれ!」
よほどの緊急事態なのだろう、マリアベルが必死に助けを求めてくる。
「くっ……?」
ピピの身にとんでもない危険が及んでいるのは間違いない……となれば放っておくわけにもいかんか。
だがここで仕留め損なうと後が面倒だし……などと躊躇しているうちに、ドロガロンは森の奥へと逃げ出してしまった。
敵対していたのだろう(捕食者と被捕食者の関係だから当然だが)『闇の軍団』がここぞとばかりに後を追っていくが、どちらが勝つかはわからない。
「『精気吸収』のことを考えるあとあと面倒なことになりそうな気もするがっ……などと悔いている場合ではないかっ! マリアベルよ、いったいどうした!? ピピに何があったのだっ!?」
振り返ると、そこにはピピがいた。
馬車から降りたまま、空を見上げていた。
もちろん、それだけなら不思議でもなんでもない。
植物が外に出るのは当たり前。
光を求めて空を見上げるのも、当然といえば当然。
だが、今は状況がよくなかった。
ドロガロンや『闇の軍団』との戦いの最中であるのはもちろんだが、ついさっき世界樹の核が破壊されたばかりだ。
つまり、世界樹の幼生体であるピピは――
「ピピ、馬車の中に戻れ! いま外に出たらおまえは……!」
ワシは叫んだ。
ピピに駆け寄りその手を掴もうとしたのだが――すり抜けてしまった。
「おまえ……体が……っ?」
ピピの体には、すでに重大な異変が起きていた。
白色の花弁を思わせるような頭部も、ぐるぐると年輪のような円を描く瞳も、ちんまりとした若草色の体も。
そのすべてが半透明になっていた。
たしかにそこにいるはずなのに触れない、触ろうとしてもすり抜ける。
まるで幽体にでもなってしまったかのようだ。
「師匠! いったいどうすれば……!?」
半狂乱になったマリアベルが、ワシの肩を掴んで盛んに揺さぶってくる。
気持ちをどこに置いていいかわからないのだろう、足をジタバタさせている。
その気持ちはわかる。
わかるのだが……。
「これは……」
ワシは瞬時に理解してしまった。
ピピの体に起きている異変、これはもはや、止めることができないものだ。
「もう……」
世界樹の苗木は、世界各地に世界樹を増やすことを第一目的とする。
それが叶わぬ場合は、母樹のもとに栄養を持ち帰るのを目的とする。
今このタイミングで馬車の外に出て来たのは、対魔術防御のかかった鉄板ですら防げないほどに母樹からの『引力』が強まったからだろう。
核を破壊され滅びゆく母樹のために、とうとうその身を捧げなければならなくなったのだ。
つまりピピのこれは本能に基づく行動であり……一度そのスイッチが入ってしまったら、おそらく誰にも、止められない。
ピピの脳は切り換わってしまった。
それこそ手足を縛ろうと、頑丈な牢屋に閉じ込めようと無駄だろう。
なんとしてでもピピは外へ出ようとし、そして……。
「ごめんね……フィオナ」
ピピは振り返ると、ワシの顔を見て微かに笑った。
いつもの元気なそれとは違う、どこか寂し気な笑みだった。
「ピピはね、おかあさんのところに行かなきゃいけないの。だから、一緒に旅には行けないの」
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