「冒険の書二百六十七:その頃ワシらは」
その頃ワシらは、走る馬車の中にいた。
エルフヘイム到着まで二、三日はかかるだろうと思われていた道のりも、精霊の祝福や森の木々の協力のおかげで大幅に短縮できていた。
ようやくようやく、エルフヘイムと外界を隔てる巨大な壁である『大外壁』が見えるところまでやって来たのだが……。
「……なんだ、妙に森が騒がしいな?」
ワシは馬車の窓から顔を覗かせた。
森に住まう生き物たちが異常な興奮を示している。
盛んに鳴き声を上げたり意味不明な突進をしたりと、暴走めいた動きをしている。
「いったいなんなのだ……?」
「……なんだか、遠くへ逃げようとしてるみたいに見えるのよ」
ルチルナもまた、恐ろし気な目を馬車の外に向けている。
「ルチルナよ。生まれも育ちもエルフヘイムなおまえからしても、これは異常な事態なのか?」
「今まで見たことないのよ」
「ふう~む……もしかしたら『魔物暴走』の前兆か……?」
「魔物暴走とはなんなのよ?」
「簡単に言うと、ある日突然、魔物たちが大暴走を引き起こすのが魔物暴走だ。原因はさまざまあるが、基本的には生息域に重大な問題が起きた時に発生する。たとえば強すぎる捕食者が現れた時、たとえば天変地異が起きた時、魔力の供給バランスが崩れた時……。この辺りなら、一番考えられる線は……」
――パッキイィィィィィン……!
大きな音がした。
硬い何かが割れたような音だった。
「まさか……っ!?」
慌てて外を見ると、薄い霧のように漂っていた結界がなくなっている。
綺麗さっぱり、跡形もなく消え去っている。
「『千年結界』が壊れた……っ?」
ワシは窓から身を乗り出すと、馬車の上によじ登った。
慌てて世界樹を仰ぎ見たが……。
「やはり……」
世界樹から精気が失われていく。
急速に萎びていっているのが、ハッキリとわかる。
今すぐ枯れ落ちるとまではいかないが、長くはないだろう。
じきにこの森から、世界樹の加護は消え去る。
動物たちが暴走するのも無理はない。
「『翠星珠』が破壊されてしまったか……くそっ」
メルキオラ率いるダークエルフ族が『闇の軍団』の手先となった、あるいは同盟関係にあるのは確かだろう。
攻撃目標が世界樹、そして翠星珠にあるのも間違いない。
バカ国王が奴らの策謀に気づかず国の中枢に招き入れてしまったのであれば、イールギットでも防ぎようがあるまい。
ルルカたちがいるとはいえ、いきなり万全の協力体制を敷くというわけにもいかんだろうしな。
「師匠! 後ろだ!」
妹呼びする余裕もなくなったのだろう、マリアベルが警戒を叫ぶ。
「魔物が迫っているぞ……!」
後ろを振り返ると、マリアベルの言う通り魔物の群れが迫ってきている。
決壊がなくなるのを待っていたのだろうが……尋常な数ではないな。
「見える範囲だけで百……二百はいるか?」
ゴブリンやコボルドのような歩兵戦力、ハーピーやインプのような飛行戦力。
オークやトロルのような巨大戦力もいる。
狼に乗ったコボルド騎手たちが先頭を切って侵攻方向を指示しているところからしても、『闇の軍団』のエルフヘイム攻略軍に間違いない。
「見えぬ範囲まで含めれば、いったいどれほどの数になることか……。闇の軍団め、本気で仕掛けてきたな……などとボヤいている場合ではないな」
このままではまずい。
こいつらを世界樹による加護のなくなったエルフヘイムにこのままの勢いで突撃させれば、本当に国が滅びる。
かつて魔族どもに滅ぼされた多くの街や国のように、あるいはワシの故郷のように、今度はエルフヘイムが。
「……させるかよ」
ワシはギリと奥歯を噛みしめた。
ぎゅうと拳を握って気合いを入れると、馬車に乗っている皆に呼びかけた。
「聞け皆の者! 翠星珠は破壊された! もはや世界樹による加護は得られない! そしてあれに見えるは『闇の軍団』! 魔王の意志を継いだ人類の敵だ! 目的はエルフヘイムを滅ぼすこと! 国を住まいを! 田畑を森を焼き払い! そこに住まうすべてのエルフを皆殺しにすることだ! 奴らが通り過ぎた後には何も残らぬ! 死、あるのみだ!」
痛烈なワシの言葉に、皆が一斉に息を飲む気配がした。
「怖気づいたか!? ならばどうする!? 逃げるか!? 国を捨てて! 父母を捨てて! 友や恋人や我が子を捨てて自分だけ生き延びるか!?」
「逃げるわけないのよ!」
ワシの煽りに、ルチルナが思い切り叫び返してきた。
「あたちたちは誇り高きエルフ族なのよ! ここで産まれ、ここで育ち、死ぬまでずっとここで暮らしていくのよ! 森も川も、魔族なんかの好きにさせないのよ! 世界樹がなくなったら代わりを育てればいいのよ! 焼かれれば焼かれるたびに育て直して、千年……万年……いいえ、億年王国を築くのよ!」
幼い主人の立派な姿に、エルフの使用人たちは心を打たれたようだ。
反論や泣き言など一切こぼれてこないどころか「つい最近までおねしょをされていたルチルナさまが、こんなにもご立派になられて……っ」とか「シチューの中にこっそり人参を入れると、怒って口もきいてくれなかったルチルナさまがこんなにも……ヨヨヨ……っ」などと涙を流して感動する者まで出てきた。
これを聞いたルチルナが「ちょ……余計なこと言うんじゃないのよっ!」と顔を真っ赤にして動揺し……まあ、それはともかくだ。
「ようーっし、よく言ったぞルチルナ!」
賢く勇気のある娘だとは思っていたが、まさかここまでとは思わなかった。
これ以上ない極限状況が自然とそうさせたのか、これからのエルフヘイムを担う子どもたちが自ら目覚めたのかはわからない。
わからないが、予想外の収穫を得たワシはニッコリ笑うと、ルチルナを褒めたたえた。
そして……。
「ワシらは逃げん! 戦って国を! 同胞を護るのだ! だがもちろん、犬死にはせんぞ! 必ず勝つ! そのためにもワシの指示を聞け! まずはひとつ――」
大きな声で、指示を下した。
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