「冒険の書二百六十:イールギットは頭を抱えた」
~~~イールギット視点~~~
「愚かな……なんと愚かな……っ」
現国王であるヘリオンの下した決断に、イールギットは絶望した。
屈辱と怒りのあまり、唇を震わせた。
場所は『翠星宮』の王の間。
はるばる『暗黒の深遠』よりやってきたダークエルフの一行を歓待するための宴が、今まさに行われているところだった。
貴賓を迎える時にのみ使用される美麗な絨毯を広げ、国を挙げての祝事の時にのみ使われるオリハルコンの燭台を並べ、酒は人類側の国家より輸入された特級品のみ。
玉座に座ったヘリオン国王は大いに飲み、その隣には美しく着飾ったダークエルフの姫君が座っている。
「ううむ……妃にするには幼すぎる気もするが、ヘリオンは度を超した女好きなので問題ないのだろう。もしなんらかの問題が起きたとしても、まだ正式な婚姻というわけではないし……って違う、そういう問題ではないっ。ダークエルフと親戚関係になることそのものが問題なのだっ」
ダークエルフの王であるメルキオラは、昔からエルフヘイムに領土的な野心を抱いていた。
多くの貴重な鉱石や魔法の植物・果物などを産する『深淵樹海』を支配下に納めようと、幾度となく攻撃を繰り返してきた。
「頭を下げる? 貢物を贈る? そんなもの、メルキオラなら息を吐くようにするだろう。それこそ、自らの領土的野心を満たすために娘を売ることすら朝飯前だろう。対してこちらは、一度招き入れた他国の姫を理由なく追い出すことはできん……」
やり口はともかく、メルキオラは当代の英雄だ。
その男がなんの策もなく娘を送り込んで来るわけがない。
そのように進言したが、ヘリオンは聞き入れてくれなかった。
それどころか「難しいこと考えすぎだよ~。くれるもんはなんでももらっておけばいいじゃ~ん。それに僕、以前からダークエルフの娘を抱きたかったんだ~♪」などと最低な発言を返してくる始末。
「ああ……もしルーンヴァルとラフィールが生きていたら……」
イールギットは頭を抱えた。
ルーンヴァルとラフィールは、ヘリオンの父と母だ。
賢き王と賢き妃であり、強き弓使いと強き魔術師でもあった。
共に手を取り合い、これからのエルフヘイムを支え発展させてくれるはずの存在だった。
だが――どちらも死んだ。
人魔決戦の最中に、魔族の暗殺者の手にかかったのだ。
「もしあの時、ワタシがアレスたちと行動を共にせず、ふたりの傍にいられたならば……いや、今さら言ってもしかたのないことだな。アレスたちがいなければ魔王は倒せなかった。あとからこうして悔やみ悩んでも、失われた命が戻ることはない」
ゴンと自らの額を叩くと、イールギットは改めて目の前の光景に集中した。
「今すべきことはひとつだ。ダークエルフどもの策を暴き、追い返すのだ」
イールギットの見るところ、問題は三つある。
一つ目は、エルフ側の誰ひとりとしてダークエルフを疑っていないことだ。
度々行われている外交使節の派遣や商取引の活発化のせいで、またメルキオラがヘリオンに対しへり下るような態度を見せたこともあって、国民はもちろん家臣たちの態度も軟化している。
もはやダークエルフは自分たちの下についたと考えているのだろう、騎士たちは油断し、まったく奇襲に備えていない。
それどころか、物欲しそうに宴席の様子を眺めているほどだ。
二つ目は、ダークエルフ側の戦力だ。
見たところ姫の護衛たち二十数人は、それぞれが剣や魔法を修めた騎士たちだ。
特に姫直属の、ダークエルフにしては胸のデカい女騎士はひと際強く、イールギットの目から見てもまったく隙がない。
今戦いが始まれば、エルフの騎士たちは彼女ひとりの手で皆殺しにされてしまうことだろう。
最後の三つ目は、姫その人だ。
ミニスカドレスなどという破廉恥な花嫁衣裳を身に着けたその幼女は、歴史上最高レベルの魔術師であるイールギットをすらハッとさせるほどの存在感を放っている。
「……隙がないわけではない。ただそれすらも問題なしと思わせるような泰然たる構え……? 歳はフィオナと同じぐらいだろうに……まるで歴戦の武人のような……?」
訝しく感じたイールギットが眉をひそめると、ヘリオンが急に立ち上がった。
楽しそうに弾んだ声で、こう言った。
「そうだろうそうだろう、ギイ殿はわかっているね! エルフヘイムといえば『世界樹』! 星の誕生以来育ち続けてきたという神の産物を間近で見てみたいというのは当然だろう! よう~しわかった、ついて来たまえ! この僕が直接『翠命珠』を案内してさしあげよう!」
「なっ……!?」
イールギットはたまらず、ヘリオンの前に立ちはだかった。
「我が王よ! どうかお考えなおしください! 他国の者を『翠星宮』の最奥に導く!? よりにもよって『翠命珠』を見せる!? いけません! あってはならないことです!」
世界樹はエルフヘイムの根幹。
その核たる『翠命珠』は心臓にあたる。
国の重臣ですら滅多に立ち入れぬ場所へ他国の者を、しかもダークエルフを招き入れるなど、正気の沙汰ではない。
「狂ったのかバカが」と声を荒げそうになったが、なんとか堪えた。
他国の者、ましてやダークエルフたちの目の前で自らの王を悪しざまに罵るなど、醜聞などという言葉ではとうてい済まされない愚行だ。
が、結果的にはそれが悪手だったのかもしれない。
イールギットの諫言がいつもより弱かったせいで調子に乗ったのだろう、ヘリオンはヘラヘラと笑うと……。
「なんだよ大祖父さま。他国の者だなんて、それこそ失礼な話じゃないか。ダークエルフは僕らの同胞、ギイ殿は僕の未来の妻、つまりは家族も同然なんだよ? 家族に隠し事をするだなんて、それこそそんなこと、あっちゃあならないんじゃないのかい?」
「王族になればそれは……しかし現状ではまだ……!」
「大祖父さまはいつもそうだ。あれしちゃダメこれしちゃダメって僕を否定してばかり。でもね、勘違いしちゃあいけないよ? 僕はいつまでもあなたに肩車されていた小さな子どものままじゃあないんだからね? 偉大なるエルフヘイムを背負って立つ……あははっ、自分で言って笑っちゃった。とにかく王さまなんだから、この国で一番偉い人なんだから。大祖父さまの言うこと聞かなきゃいけない道理なんてないんだよ」
「ぐぬうぅぅっ……?」
そう言われてしまうと、イールギットには何もできない。
どれだけ実績があろうと家臣は家臣、『国王大権』の前には無力だ。
「さて、口うるさいご老人は黙ったみたいだ。行こうか、ギイ殿」
言葉を失うイールギットを尻目に、ヘリオンは歩き出した。
「あ、でもガッカリしないでくれよ? ここんとこ翠命珠の力は弱まるばかりでさ、君が望むような輝きは見られないかもしれないから。――え、知ってる? じゃあまあ、いっか。ほんじゃ、ぶわ~っと行ってみよう~♪」
いかにもご機嫌といった様子で王の間の奥へと歩いて行くヘリオン。
「くそっ……なんたる無様な……っ」
屈辱のあまり頭を抱えたイールギット。
その耳に――小さなつぶやきが聞こえた。
「ほお~……国王の大祖父? ということはつまり、おまえがあのイールギットなのか?」
それはギイの声だった。
ヘリオンの後ろをついて歩いていたギイが、イールギットの横を通り過ぎる瞬間、低い声でつぶやいたのだ。
イールギットをジロジロと遠慮なく値踏みしたかと思うと、ニヤリと笑みを浮かべたのだ。
「人魔決戦で魔王を倒した勇者パーティの一員で? 世界最強の魔術師で? 多くの二つ名を冠した、生きる伝説? ほお~ん?」
「なんだ……貴様はっ?」
イールギットは思わず飛び下がった。
人目さえなければ、長杖を構えていたかもしれない。
それほどにギイの態度は尊大で、異様で、かつ危険な気配を放っていた。
「やめなさい、やめなさいバカ……じゃなく姫さまっ」
この事態に慌てたのは、イールギットだけではなかった。
ダークエルフの女騎士が慌ててやって来ると、ギイを押しやるようにして連れていったのだ。
「ごめんなさい、今日の姫さま調子が悪くて、気が立ってるみたいでっ。おほ、おほほほほっ」
「はあ~? なんだ、我は調子など悪くないぞ? むしろひさびさの強敵を前にして昂っておるぐらいだぞ?」
「だからそうゆーのをやめなさいと言ってるのよこのスカポンタン……じゃなく、姫さま黙ってっ」
わちゃわちゃと揉み合うようにして先を進むふたり。
ひとり取り残された形のイールギットはしかし、頭に浮かんだ疑念をうまく言葉にできずにいた。
「……姫と護衛で仲が良いのはけっこうだが、しかしあまりにも仲が良すぎるのでは……? というか、バカとかスカポンタンとか聞こえた気が……?」
疑念を抱いたまま見送るイールギットの耳に、今度はまた別の音が聞こえてきた。
王の間の入り口から響いて来たそれは、多くの者が揉み合い、殺到するような音だった。
「お願いだから通してください! ホントのホントに緊急事態なんですよ!」
「ええいダメだダメだ! 国賓がいらっしゃっているのだぞ! なんなら国王陛下の未来のお妃さまとなられるお方なのだぞ!」
「国賓なんかじゃないんですってば! なんならお妃にもならない予定の人なんですってば! ああもう! デクランさんなんとかしてください! 外交官特有の巧みな話術的なあれやこれやで上手いこと解決しちゃってください!」
「さすがにここまでモメたらどうしようもありませんって! ダークエルフの到着前ならともかく! 到着、そして宴席まで開かれてしまっていては! 我々は完全に遅きに失しました!」
「だってだって、チェルチちゃんがそっち寄ろうって言うから~!」
「あ~あ~うるさい! いいから黙ってろおまえらは!」
「黙ってろって……チェルチちゃんいったい何するつもりなの!?」
「このまま突っ込むんだよ! そう~ら、ケガしたくなかったらどいてな! 『爆裂火球』!」
ドガンという魔術の炸裂音と共に、王の間の扉が吹っ飛んだ。
炎と煙の中から現れたのは、二十数人に及ぶ人族だ。
外交官のデクランと、騎士のルシアンと、そして……。
「あたいの名はチェルチ! チェルチ・フォーナイン! あんたらエルフなんか大っ嫌いだがしかたねえ! 今日だけは助太刀してやるよ!」
悪魔貴族のチェルチが大声を張り上げると……。
「わ、わ、変なこと言っちゃダメだよチェルチちゃん……ってものすごい注目されてるうぅぅ~っ!? えっとえっと、わたしはルルカと言いましてぇ~……デクランさんの護衛でぇ~……ハイドラ王国の勇者学院の生徒でぇ~……あとあと、ディアナちゃんの友だちでもありますっ! 今日はその……そこにいるダークエルフのお姫さまを名乗るギイが、実は悪者だってことを伝えに来ました!」
女神教の僧侶のルルカが、とんでもないことを言い出した。
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