第22話 日高誠と待つ影
駅前のロータリーは闇に包まれた。
改変されたこの空間は、黒い壁により世界から隔離されている。
その中を禍々しい「影」が、ゆらゆらと揺れながら俺との距離を縮めて来る。
「猫蛙! どうすればいい!?」
あれは俺を改変する為に、誰かが生み出した化物だ。猫目青蛙は六年前にそう言っていた。ならば何かを知っているはずだ。
だが俺の中にある魔法空間に居るはずの魔法生物は、何も言葉を発しない。
代わりに遠くから俺をロックオンしている影が、赤い眼球を見開き、「キキキ」と不気味な金属音を発生させる。笑い声にも聞こえる特有の「鳴き声」だ。
「……猫蛙!?」
何で反応が無いんだよ! 今まで散々自由行動して来てたくせに酷すぎるでしょ。
だったら、正式に喚び出すまでだ。
俺は右手に魔力を込め、立体魔法陣を精製する。
『来い! 猫目青蛙!』
魔法陣が描かれたクリスタルの球体が、掌のサイズから直径一メートル程に巨大化する。だがそれ以上、何も起きない。
「魔法が起動しない……!?」
立体魔法陣が砕けない。
それどころか、火花を散らしながら萎んで行く。
「まさか、あの影の能力なのか……?」
ピンチだ。どんな強力な魔法生物を手に入れたって、喚び出せなければ意味が無い。
立体魔法陣は溶ける様に右手に吸い込まれてしまった。きっと、もう一度起動しても同じ事になる。
「影」は魔法使いの天敵だ。魔力で察知する事が出来ない。だから俺がこの場所で襲われている事は誰も知らない。大ピンチだ。
六年前に俺を襲って来た影。
猫蛙は時間を超えれば解決出来ると言っていた。なのにどうして……!?
まさか……。また別の未来改変が起こっているのか? だとしたら最悪だ。
そもそも、この影は「誰が」「何の目的で」生み出したものなんだよ……。
影は人の恨み、呪いで生み出されるものだ。俺が襲われる理由が分からない。
『……キキキ……キキキ……』
不快な金属音を発しながら、さらに距離を縮めて来る。ボヤけていた輪郭がハッキリとなって行く。まさか……。
「分身体になるつもりか……!?」
影が進化し、強力な能力を使う存在だ。そうなる前に止めないとヤバい。
影がガードレールを突き破る。
紙切れの様に千切れ、破片がバラ撒かれる。アスファルトが削られ、衝撃音が耳を貫く。
『……ギ……キギ……キギギキキ……』
突然、影が不規則な音を上げた。
明らかな異変が起きている。それ以上、影は近付いて来ない。
「何だ? 動きが止まっている……?」
次の瞬間、炎が影を包み込む。
それは燃え盛る鎖に変化し、影の全身を縛り付けた。
これは魔法だ。誰だ!?
「お怪我はありませんか? 日高誠」
闇の壁を擦り抜ける様に、その人物が姿を見せた。
魔法着のフードを深く被り、仮面を身に着けている。その深い青色の姿は水鞠家従者の証だ。その声と佇まいで顔が隠されていても分かる。
「弓の魔法使い……!?」
俺はこうやって何度も仲間に助けられて来た。それには理由があった。
引力の魔法特性が「影」を引き寄せているとか、俺の方から出会いに行っている、なんて事を言われていた。
……今回は違う。
影の能力で結界が張られ、外の世界と隔離されたこの空間に弓の魔法使いは現れた。
何かがおかしい。それにこの胸騒ぎは何だ?
頭の中で整理出来ないでいるうちに事態は最悪の方向へと進む。炎の鎖で身動きが出来なくなった影が、「分身体」へと進化を開始した。
分身体は影を生み出した本人の姿に変化した状態だ。誰がこの影を生み出したのか判明する。
『キキキ……キキ……カ……ケ……』
金属音の鳴き声が……何かを言っている?
『カ……ケ……キキキキ……カケ……ル……』
……え? 今何て言った?
『……カケル……キ、キキ……。カケル……』
「嘘だ! 何でお前が……!?」
小さくて太った体……おかっぱ頭。間違うはずが無い。それは俺にとっては意外な人物だった。
「桐生……! 桐生なのか……!?」
分身体は苦しそうな表情を浮かべ、炎に捕らえられている。
六年前……また会おうって約束したのに、こんな形で再会するなんてあんまりだ。
「何が起きたんだよ……。あの後、桐生の身に……!」
すると弓の魔法使いは微動だにせず語り出す。
「貴方が未来に戻る直前に、あの影は生まれました」
「知っているのか……!?」
弓の魔法使いは俺の前を通り過ぎ、影を遮る様に立った。そして背を向けたまま答える。
「あれは『引き戻す影』です」
「引き戻す……!?」
「貴方が未来に帰った後、もう二度と会う事が出来ないかもしれないという恐怖。そして未来に行かないで欲しいと願う欲望が生み出した影」
「何でそこまでして……改変者になってまで……?」
「この影はずっと待ち続けていました、貴方が六年前から帰って来るこの日を。貴方を改変する為に」
「あんたの言っている事は全部デタラメだ。桐生はそんな奴じゃない。きっと何かが桐生に起きたんだよ。俺は桐生を助けたい! 桐生は今、何処に居るんだ?」
すると弓の魔法使いは振り返り、俺と対峙する。足元まである長い魔法着が揺らめく。
「貴方は桐生の事を何も分かっていません」
「何を言っているんだ? アンタがどれだけ桐生を知ってるって言うんだよ」
すると弓の魔法使いは分身体を指差し、そっと呟いた。
「桐生は女の子です」
……はい?
「何を言って……」
「女の子です」
「嘘だろ!?」
はは……。いきなりとんでもない事を言い出したぞ。桐生が女の子だなんて……そんな事ある訳無いだろ!
桐生と過ごした時間を思い出す。その前提で振り返ってみても……。
あれ……!? 納得出来る部分もあるぞ。
何かやたらと柔らかかったし、可愛らしい顔立ちと言えなくも無い。
……そう言えば、妹の見ていたアニメキャラクターも知っていた。
だとしたらヤバくないか? 俺、間接キッスとか、めちゃくちゃボディタッチしちゃってるし。
ああ……。ヤバい。取り返しのつかない事をしてたよ……。
「それから、体が小さくて幼く見られがちですが、貴方と年齢は同じです」
「嘘!?」
小さい割には、しっかりしているな……とは思っていた。十歳だったのかよ……。
俺、本当に桐生の事、何も知らなかったよ……。なのに何でも知っているかの様に振る舞ってしまっていた。恥ずかしすぎる……!
「それから、『桐生』というのは偽名です」
「偽名!?」
偽名って何だ!?
名前を偽っていたって事か!?
「何で!? 何の為に?」
「桐生家は彼女の嫁ぎ先になるはずでした。六年前から既に桐生家に許婚が居たのです」
それは綿貫さんから聞いていた。受け継がれているはずの立体魔法陣が発現出来なかったからだ。
それが理由で家出を繰り返し、仕方無く綿貫さんが面倒を見ていたんだ。
「一族の期待に応える事が出来ず、自信を失っていた彼女は『本当の名前』を嫌っていました」
「……だから『桐生』と名乗ったのか」
綿貫さんはその運命を変えたかったと言っていた。だから俺と行動をさせていた。
でも、その結果がこれだ。
桐生は影を生み出し、改変者になろうとしている。本体が乗っ取られれば、無事には済まない。
ここで桐生の影を消滅させたい。でも、今の俺には立体魔法陣が出せない。
弓の魔法使いは、この結界の中でも魔法を使えていた。影との戦闘は問題は無い。
でも、本当にコイツを信用出来るのか……!?
「心配は要りません日高誠。あの影は私が仕留めます」
そう言って弓の魔法使いは、自身の顔を覆い隠す仮面に手を掛けた。
「桐生の本当の名前をお教えしましょう……」
紋様が刻まれた仮面が、小さな無数の光の球体となって消えていく。そして魔法着のフードが外れた。
その下には、弓の魔法使いの素顔があった。
大きな目、低い鼻、フワフワな茶色の髪。
それは俺の知っている、クラスメイトの姿。
────高崎花奈。
驚きよりも前に、頭の中にあったバラバラになっていたパズルが、カチカチと元の形に戻ろうとする。
俺は……記憶を消されていた……!?
学校でストーカーの「追う影」から俺を助けてくれた……。そして、化学室で解析魔法を妨害者から守った魔法使い。
──間違い無い。
水鞠家の従者。コードネーム「弓の魔法使い」は、高崎花奈だ。
何で俺の記憶を消してまで正体を隠していたんだよ。意味が分からない。
理由があるとすれば、一つしか無い。
「お前が桐生なのか……!?」
すると、目の前にいたクラスメイトの表情が、見覚えのある生意気そうな少年のものに変わる。
「そうだよ。俺が桐生だ」
その言葉に、返すセリフが出て来ない。
頭が真っ白になり、意識を失いそうになる。すると高崎花奈が確かめる様に首を傾げた。
「久しぶりだなカケル……って言ってもお前とっては、ついさっきの事なんだよな」
だが俺は動揺して、そのクリクリとした丸い目を正面から見る事が出来ない。逃げる様に分身体へ視線を移してしまった。
『……カ……ケル……カケル……』
桐生の分身体が魔法を破ろうとしている。凄まじいエネルギーだ。
高崎花奈は哀れみの表情でそれを一瞥すると、言葉を続ける。
「俺は『引き戻す影』を消そうと努力して来た。影を生み出した時からずっとだ」
「……自覚していたのか。六年前から」
それでも影は消えずにいる。こうやって俺の前に現れた。
高崎花奈は、その事実を受け入れる様に静かな声で答える。
「怖かったよ。何かの拍子でカケルだった記憶が戻ってしまったら、この『引き戻す影』がお前を襲う可能性があったからな」
分身体を押さえ込んでいる炎の鎖が軋み、メキメキと音を立てる。今にも破壊されそうだ。
この影が本体に乗り憑れば、彼女は自我の無い化物になる。そうなったら、今の俺には救う方法が無い。
取り乱す俺とは反対に、高崎花奈は冷静なままだ。両手を合わせ、新たな魔法を起動する。
立体魔法陣が精製出来ているはずなのに出現しない。さっきの俺と同じ現象だ。
だが小柄な少女は魔法を起動し続ける。
「これが引き戻す影の能力だよ。発動した魔力すらも引き戻してしまう。でも、今の俺には通用しない」
そう言って両腕を前に出すと、眩い閃光が溢れ出す。
『いでよ。炎環の弓』
その光が一つに合わさると、立体魔法陣が姿を見せた。
魔法式が描かれた、ガラスの様に透き通った弓。美術品の様に美しく、気品のあるオーラに包まれている。
それを誇らしげに構えると、分身体に標的を定めた。
「あの影は何度もカケルを改変しようとした。でも、その度に俺の願った未来は拒絶されたんだよ。だからもう……この手で終わりにする」
魔力を発動させると、光り輝く炎の矢が現れた。
『三十八層、展開』
弓の立体魔法陣とは別に、無数の円錐型立体魔法陣が出現する。そして分身体の周囲に配置された。
これは、この魔法は……。
俺は知っている。魔法花火大会の時に見た、「雷旋のワタヌキ」の魔法だ。
闇の空間に魔法の詠唱が響き渡る。
『巻き上がれ。轟炎旋……!』
炎の矢が一直線に放たれた。
それは分身体に直撃すると、真下から炎が渦を巻き、分身体を覆い尽くす。
圧縮された強力な魔力が何度も旋回を繰り返し、その度に黒い皮膚が剥がされて行く。
断末魔を上げる余裕すら与えない。それ程に強力な魔法だ。
分身体の姿はもう無い。
黒い霧になり、それすらも焼き尽くされている。
持っていた弓がガラスの様に砕け散る。
その破片は煌きながら、立ち昇る火柱の中へと消えて行った。
高崎花奈はゆっくりと振り向く。そして自信に満ちた微笑みを見せる。
「俺の魔法イメージは『真実の鏡』。理想の自分を強く願い、努力して近付く事で、本来の魔力を発揮する事が出来る」
魔法の生み出す熱風に、フワフワの髪がなびく。そして話を続ける。
「驚いたか? お前が居なくなった後、毎日毎日、寝る間を惜しんで死ぬ程修行したんだよ。綿貫に頼んで弟子入りさせて貰ってな」
雷旋のワタヌキが弟子を……!?
予想通りの俺の反応を見ると、高崎花奈は両手の指を口元で合わせ、小動物の様なポーズを取る。そして可憐な少女の様に微笑んだ。
「おかげで……変な口癖も感染っちゃったよぉ」
ああ……。高崎のいつもの口調だ。
そういや二人は喋り方が似ていた気がする。師弟関係だったのかよ。
一転、少女から生意気な少年の表情に戻るとニヤリと笑う。そして俺を指差し、挑発的な態度で言い放つ。
「俺の勝ちだカケル。約束通りコトリ様の一番になってやったぞ!」
六年前の世界で出会った、落ちこぼれの魔法使い。
そいつは俺との約束を守り、水鞠家最強の魔法使いに成長して目の前に現れた。
細かい事はどうでも良かった。
嬉しくて、涙が止まらなかった。
「桐生……ごめん。俺は……」
そう言い掛けた瞬間だった。
突然、柔らかい感触が俺の身体を包む。
何が起きたのか気付くまで、しばらく時間が必要だった。
俺は今、高崎花奈に抱き付かれている。
細い両腕で強く締め付けられ、その小さな身体から鼓動が伝わる。
「言わなくていい。カケルの気持ちは知っているから」
「桐生……」
「壁が無くなるまででいい……。お願いだから、このままで居させて」
レンガの割れる様な乾いた音が無数に響き、その涙声を掻き消した。
闇の空に亀裂が走り、光の矢が無数に降り注ぐ。
余りの眩しさに、俺は硬く目を閉じた。
この空間を支配していた影が消滅し、結界の力が失われて行く。
『さようなら。カケル……』
目を開くと、世界は元の形に戻っていた。
バスの雑音。行き交う人波。夕暮れの駅は普段の姿になっている。
「桐生……!」
その姿を探しても、何処にも見当たらない。
落ち着け俺。焦る必要は無い。
同じ時間を生きている限り、アイツは水鞠コトリの側に居るはずだ。
明日になれば、いつもの様に科学室の隅に座って、だらしのない主人の監視をしているに違いない。それがアイツの誇りだからだ。
俺はスマホを手に取り画面を見る。
そこには水鞠コトリの名前とアドレスが表示されたままになっていた。
電話じゃ伝わらない事もある。
水鞠とは明日、科学室で直接話そう。
俺は画面をキャンセルし、尻のポケットに仕舞い込んだ。
「弓の魔法使い」高崎花奈は、六年前の非力な自分を全て克服した姿になっています。
橘辰吉との戦いは圧勝。
美術部では賞を獲る程の実力。
日高と紗英が訪れた公園で連れていた人懐っこい犬は、六年前にスズカが助けた子犬です。
魔法花火大会のラストでは、苦手だった高い場所からの射撃を成功させています。
花奈の魔法イメージ「真実の鏡」は、実力以上の力を発揮出来ません。全て努力によって身に付けた力です。
花奈が最後に突然出て来た感があるので、序盤に登場シーンを追加する予定です。
次回、三章最終回です。




