第17話 日高誠と魔法空間
現在、深夜二時過ぎ。
十歳の水鞠コトリがこの部屋を去り、一時間余りが過ぎた。今は静かな時間が流れている。
俺はベッドに座り、天井を見上げている。
いや、見上げるしか無かった。
何故なら、俺のすぐ隣には奇妙な物体が座っていたからだ。
── 猫目青蛙。
体長一メートルはある巨大な蛙だ。体色は水色。猫の様な縦長の黒目、首には赤いリボン、腰には謎の黄色い布を巻いている。
水鞠コトリの祖父、水鞠七兵衛が可愛い孫娘の九歳の誕生日にプレゼントした魔法生物。
そして両親を同時に失った水鞠コトリを癒す為に生まれた、唯一の友達。
魔法創造者として、最高の技術と魔力を注ぎ込んだ、最高傑作にして最後の作品だ。
猫目青蛙と契約すれば、俺が元の居た場所……六年後の世界に戻れるかも知れない。
だから今、困った状態になってしまっている。
契約するには、対象の魔法生物にダメージを与え、俺が回復をさせなければならない。
それは無理だ! 意思を持ち、言葉を理解していた様に振る舞っていた猫目青蛙に攻撃を加える事が出来ない。だって可哀想でしょ?
ダメージを与えた時に痛そうな声や表情をされたら、辛くて精神が病んでしまいそうだ。
でも、もう限界だ。時間が無い。
契約を開始するぞ! 俺は心を鬼にする事に決めたのだ!
深呼吸をして脳に酸素を送り込む。行くぞ!
「あの……そろそろ契約させて頂いて宜しいでしょうか?」
何故か敬語になる俺。深夜二時過ぎにベッドに並んで座る巨大な蛙に語りかける……。意味が分からん。
「………………」
無言のまま、壁の一点を見つめて動かない猫目青蛙。
どうしたらいいんだよ……。
すると猫目青蛙が突然、俺の方をクルリと向いた。猫目が怪しく光る。
ヒィ……怖っ!
「す……素敵なリボンですね」
恐怖と動揺のあまり、何故かリボンを褒めてしまった。何してんだよ俺……。
だが、猫目青蛙は両手で首元のリボンを引っ張ると、嬉しそうに見せて来た。どうやらお気に入りだったらしい。
この流れ……行けるかも知れない。もっと褒めつつ、さりげなく接触してみよう。
「この腰布も……」
『シャ────ッ!』
いきなり怒った猫の様な声を上げて来た。どうやら腰布は触ってはいけなかった様だ。
ひいいい……。上手く行かねぇなぁ。そしてメッチャ怖い。
もう時間が無い。覚悟を決めよう。
水盾甲蟹の角で刺すか……。重量が有りそうな土煙田鼈で押し潰すか……。いやいや、無理! 本当に無理!
そんな事を考えながら頭を抱えていると、おもむろにスッと立ち上がる猫目青蛙。
え……? まさか契約する気になった?
慌ててベッドから立ち上がる俺。
「あれ…………?」
猫目青蛙が視界から消えた。え? ちょっと。どういう事!? まさか居なくなったんじゃ……。
居なくなった訳では無かった。素早い動きで俺の懐に入り込んでいた。
ここで言う、懐とは間合いの事だ。
俺の足下にしゃがんで力を溜めている。剥き出しの脚の筋肉が盛り上がる。
ああ、知ってるぞ。これはボクシングチャンピオンの必殺技だ。蛙の様に下から跳んでパンチするやつ。確か、カエルアッ……。
気が付くと、真っ白い空間の中に一人で立っていた。
どうやら俺は、猫目青蛙のアッパーパンチを喰らい、気を失っているらしい。
時間はどれ位経っているのだろうか。大体、こういった場合は一瞬な事が多い気がする。とにかく、早く目が覚めて欲しい所だ。
このまま立っているのも退屈になって来た。俺はゆっくりと歩き出す。
どこまでも続く白い空間。
すると視界の先に、何かが見えて来た。
「あれは…………!?」
巨大なタガメ……。土煙田鼈だ。
目の光が消えている。完全に停止状態だ。その後には水盾甲蟹も居る。
「まさか…………」
自分の真上を見上げてみた。やはり予想通りだ。
そこには、巨大な物体がユラユラと浮遊していた。
「風鱗海月……!」
無数の触手は千切れていて、胴体に穴が空いている。水鞠が与えたダメージの修復にはまだ時間がかかりそうだ。
「ここはもしかして……」
『そうです。ここはあなたの魔法空間の中ですよ。日高誠君』
女性の声がする。
「誰だ…………?」
何かが白い空間の壁の奥から姿を現す。その意外な声の主に驚いた。
「猫目青蛙…………!?」
目の前に居るのは蛙の姿をした魔法生物だ。魔法生物が喋った!?
『そうです。水鞠七兵衛様によって生み出された魔法生物。猫目青蛙です。ようやく会えましたね』
そういって俺の手を両手で握って来た。
「いや、ビックリした……。話が出来る魔法生物だったなんて……」
それに女性だった事に驚いた。まあ、魔法生物に性別なんて存在しないから、イメージなんだろうけど。
『会話出来るのは、この魔法空間の中だけです』
「え……? 俺は猫目青蛙と契約出来たのか!?」
すると猫目青蛙は静かに頷いた。
契約出来た様だ。理屈はよく分からない。この魔法生物には常識が通用しないのかも知れない。
『素晴らしい空間です。貴方が引力魔法しか持たない特性だから……だけではありません。魔法に対する純粋で真っ直ぐな姿勢……。そして厳しい鍛錬がこの奇跡を生み出した』
どうやら褒められているらしい。確か水鞠にもそんな様な事を言われていたな。
会話が出来るなら話は早い。俺は猫の様な不思議な目を捉えた。
「お願いがあります! 俺は元に居た、六年後の世界に戻りたい。契約出来た今、それは可能ですか?」
俺の問いに、猫目青蛙は目を背ける。
そして、握っていた手を離すと、後を向いて歩き出してしまった。俺はその跡をついて行く。
『私には分かりません』
「…………え!?」
今、何て言った…………? 分からない……?
『私はコトリ様を癒す為だけに作られました。特別な力は持っていないのです』
嘘だろ……?
そんな……。ようやくここまで辿り着いたのに……。手掛かり無しかよ……。
俺は膝から崩れ落ちた。頭を地面に叩き付ける。
綿貫さんが……桐生が……真壁スズカが協力してくれたのに……! 火喰甲魚も犠牲にしてしまったのに……! 全て無駄だったって言うのか……!?
絶望感しかない。もう、何も方法が無い……。
『諦めないで日高誠君。貴方は約束したのでしょう? コトリ様と』
約束……?
そうだった。
確かに俺は約束をした。また、元の場所……六年後の世界で会おうって。
水鞠コトリだって猫目青蛙が居なくても、一人で立ち上がろうとしている。
だからもう、弱音なんて吐いていられない。俺は絶対に諦めない。
「力を貸してくれ。猫目青蛙」
そう言って立ち上がり握手を求めると、その手を両手でそっと包み込んで来た。
気のせいかも知れない。猫の様な目が優しく笑った様に見えた。
『良かった。貴方がそう言ってくれて』
「────?」
猫目青蛙の何かが変化した。
『お父様、お母様、七兵衛様がお亡くなりになって、コトリ様は長い間、深い孤独と悲しみの中に居たのです。私は最後まで救えなかった……』
「最後……? 一体何を言って……?」
突然、光に包まれる猫目青蛙。何かの魔法が起動している。
『だから助けて。私の大好きなコトリ様を。貴方の向かう未来へ連れて行って……!』
光はすぐに消滅した。もう、魔法は起動していない。
「猫目青蛙……?」
俺の問いかけに反応し、ギロリと猫目を向けて来た。そして周りをキョロキョロと見渡す。
そしてフムフムと納得した表情になると、「アー、アー」と声を上げた。
女性の声が、赤ん坊の泣き声に変化した。
更に「アー、アー」と続けていると、少年の声に変わる。それから、十代、二十代、四十代と年齢が上がって行く。
『こんなものかなぁ……』
何だ!? 何が起きているんだ!?
「誰だ……お前は……!」
中身が違う! 魔力の波長が別の何かに変わっている! さっきまでの猫目青蛙は何処に消えたんだ!?
『残念だが、彼女は消えて無くなったよ』
「…………は?」
何を言っている!? 夢なら覚めてくれ!
じゃあ、コイツは一体何者なんだ!?
『ワシは……水鞠七兵衛だ』
その言葉に頭が真っ白になった。何かの冗談だよな。その名前は何度も聞いている。
『冗談では無いぞ。こうなったのには理由がある』
「理由……?」
『ワシは猫目青蛙を造る時、独自の行動パターンを生み出す為に、触媒としてあるものを使った』
触媒とは魔法生物の元になった材料の事だ。熱を喰う火喰甲魚は氷から生まれている。
待てよ? じゃあ、水鞠コトリを癒す為に生まれた魔法生物の触媒って何だ?
「まさか……それって」
思い当たるとしたら一つだけだ。
『そうじゃ。ワシの魂だよ』
今回の話は、サポーター姿の日高がドヤ顔で登場したプール回と同じくらい気に入っています。




