第1話 日高誠と新たな現象
高校生活一年目の夏休みが始まった。
ロクに友達が居なかった俺には、キラキラした青春なんか無縁だと思っていた。だが今は違う。
吉田という親友がいる。
水鞠と岸本という女友達がいる。
部活にも入った。
何かを期待せずにはいられない……!
「大事な事、忘れてない?」
そう言って水鞠が俺の手札の中から一枚カードを引く。
夏休み一日目。昼過ぎの科学準備室。
薄暗い室内の両脇の棚には、今まで使った事の無い実験道具が敷き詰められている。まあ、よくある感じだ。
部屋の中央に置かれているのはアンティーク調の小さめな机と、向かい合う二脚の椅子。そこに俺と水鞠コトリが座っている。
「何だよ。大事な事っていうのは」
突然の問い掛けに面倒臭そうに答える。
水鞠は引いたカードの絵を見て眉間にシワを寄せる。そして俺の言葉を聞くと、猫の様な目をジロリと向けて来た。
相変わらず現実離れした存在だ。前髪は短く切り揃えていて、腰まで伸ばした髪は針金の様に真っ直ぐだ。学校の制服がまるで似合って居ない。
今、俺達二人はババ抜きをしている。
遊んでいる訳では無い。あの事件の後から放課後はずっと、魔法使いの一族の当主から魔法を教わって過ごしている。これは修行の一つなのだ。魔法使いの……。
「あ……。俺、魔法使いになったんだった」
すっかり忘れて普通の青春をイメージしちゃってたよ。
「バカヤロ──ッ!」
水鞠の声が響き渡る。何だよデカイ声出して。
「日高は魔法使いとしての自覚が無さすぎ! そんな事じゃいつまで経っても一人前にはなれないからねっ!」
本当に忘れていたから何も言い返せない。水鞠の言っている事は正しい。
「言っておくけど、この夏は修行がメインだから。遊べると思わない事ね!」
そう言ってカードをペアにして場に捨てる。
今、他人が俺達を見たら遊んでる様にしか見えないけどな。実際は魔法トランプを使用した修行なのだが。
「修行って何をするんだよ。魔法七並べか?魔法大富豪か?」
「それもそうだけど」
「そうなの!?」
もう何でもありじゃねーかよ。じゃあ魔法スピードや魔法ポーカーとかもある訳?
「これはあくまでトレーニングの補助みたいなもの。毎日厳しいトレーニングをしつつ、少しずつ実戦経験も積んでもらうから覚悟してね」
水鞠はそう言って手札を俺に差し出し、早く一枚取れとジェスチャーをする。
俺はその中から一枚選ぶと、自分の手札に入れた。
「実戦かよ。つまりは改変者との戦闘か?」
「……そうだね」
水鞠が短く答える。
改変者とは、魔法ではない異質な力を使い、未来を改変する者の事だ。
魔法使いは改変された現象を修正する為に戦っている。
「強力な魔法を使った後だから、魔力エネルギーが安定していない。そういう時は改変現象が起きやすいから、何か違和感があったらすぐに言って」
そう言うと、水鞠が早くカードを捨てろと催促する。
なるほど。これは大変な夏休みになりそうだ。でも自分で選んだ道なんだ。何だってやるつもりだ。
「ちょっと! 遅くない?」
水鞠の機嫌が悪くなって来た。修行に集中するとしよう。
今回でババ抜きは十二回目だ。やる度にババの種類が増えて行き、今に至っては手札の七割がババになっている。相手からカードを引いても引いてもババしか出ない。
ババの絵は魔女になっていて、よく見ると微妙に絵が違う。この中の何と何を組み合わせて捨てれば良いのかがもう全然分からなくなって来た。どれもタロットカードの絵柄の様な独特なデザインで見分けが難しい。
お互い残り十枚程だ。さて、どうするか。ああ。何かどんどん面倒臭くなって来たぞ。
いいや。もう、適当に捨ててみる。
「負けた……」
水鞠が突然片膝を着く。
「えええ──!?」
どういうルールかさっぱり分からん!
「まさかネイルエステシャン魔女と忍者魔女をセットで捨てて来るなんて……」
「そんな名前だったの!? この魔女!? 大戦争でもする気かよ!」
手札がまだ残っているのに勝ちなのか。ルールが分からんから嬉しくも何ともない。
だが水鞠は悔しかったらしく、口がへの字になり、プルプルしている。
「ビギナーズラックってやつだから勘違いしないでよねっ!」
いや、そんな事分かってるから。適当にやってたし。ていうか、何でそんなに本気で悔しがってるの!?
水鞠コトリの表情がコロコロ変わる。
その変化を見ていると嬉しくなる。
「コトリ様」
突然ローブと仮面を着けた人物が片膝を着き、水鞠を呼んだ。え!? いつから居たの!?
仮面の模様からして、壁の魔法使いだ。水鞠家に仕える三人の内の一人。その正体は分かっている。金髪でギャルで先輩だ。
「水鞠。また下らない事で壁の人を召喚したのか? またカップ麺のお湯が無いとか……」
「してないし! 」
水鞠は全力で否定する。え? じゃ、何で居るの?
そんな俺達のやり取りを遮る様に壁の魔法使いが咳払いをする。壁の魔法使いは水鞠に対して異様な愛情を持っている。俺の存在が気に入らないのだろう。
「その件だね。分かってるよ」
そう言ったのは水鞠だ。壁の魔法使いが現れた理由を察していたらしい。
得意げな表情で話を続ける。
「プールの水が無くなって、水泳部が困ってるんでしょ? そろそろだと思っていたよ」
「プールの水が? 何の話だよ。誰かが水を抜いたならまず警察か……」
あれ? 何かおかしいぞ? そういう事か?
「日高。気付くのが遅いよ」
水鞠が立ち上がる。
「これは魔法案件だよ」
夏休み一日目からこれかよ。先が思いやられるよ……。
よく晴れた空が窓から見える。今日も暑そうだ。プールか……面倒だな……。
「来たようね」
水鞠の猫の様な目が扉に向けられた。科学室に誰かが入った様だ。
水鞠が手を挙げて合図を送ると、壁の魔法使いは一礼して準備室を出て行く。
入れ違いで制服姿の女性が現れた。
肩までの長さの髪、意思の強そうなくっきりとした瞳に向日葵の様な笑顔。
「こんにちは」
岸本紗英だ。何で?
準備室に入ると、奥から折り畳みの椅子を出し、当たり前の様に椅子に座った。
あの事件の後、科学室で会うのは初めてだ。
「岸本さんは科学部に入ったから。で、プールの水が……」
「ちょっと待て! 今さらっと重要な事を言ってなかったか!? 科学部に入った!? テニス部は?」
「辞めてないよ。両方頑張るつもり。今日の練習は午前中で終わりだから、午後から科学部ね」
俺の問いに岸本が笑顔で答える。
いや、元々テニスを始めたのは彼女の意思では無い。むしろ辞めていても不思議では無いのだ。他人による長年の改変から逃れた岸本紗英は、本来の自分を取り戻している途中のはずだから。
まさか、まだ改変者の影響を受けている部分が残っている……?
水鞠に視線を移すと俺の言いたい事を理解したのか、目を合わせてから頷く。
このまま科学部で岸本の様子を見ろって事か。だったら最初に伝えてくれよ。何で事後報告なんだよ……。あと、二人共メールしてくれよ! 友達だって言ったの嘘だったのかよ……。
それに……こんな事、吉田に何て説明すりゃいいんだよ……。
すると、俺の考えを察した岸本が顔を覗き込んで来た。
「吉田の事、心配してるの?」
そりゃそうだ。好きだった相手が自分の友達の部活に入ったら心穏やかではいられないだろう。
岸本はまた笑顔を作り、首を傾ける。
「心配しないで。私が科学部に入った事、吉田には上手く説明したから。ちゃんと納得してたよ」
吉田はアホで単純だ。納得してると言うなら問題は無いだろう。
何か疑問があれば俺に言って来るだろうし。
一応、後で話をしておくか。面倒臭いけど。
「で、俺達は何をすればいいんだ?」
気を取り直して適当に話を進める。
すると水鞠が小さな紙を渡して来た。
「最初だからヒントをあげる。二人でここに行って買い物をして来て」
ここに来て、お使いイベントかよ。紙には店までの地図が書いてある。
「後は自分で考えて。アタシはここで待っているよ。お腹空いて動けないし」
ババ抜きの時もそうだが、本当にルールを伝えないんだな魔法使いってのは。まあ、確かに不思議現象を解決するには必要な能力かもしれない。これも修行だ。
「じゃあ、行くか」
岸本紗英と二人、学校を出て指定の店へ向かう。
いつも帰る道とは方向が逆だ。住宅が少なく水田が多い。舗装された細い道を進む。
それにしても真夏の昼過ぎは暑すぎる。こんな時間に買い物に行く羽目になるとはツイてない。
ふと、思い出してしまった。
岸本の好きな人をストーキング……じゃなかった会いに行った、あの暑い午後の事を。
すると突然、岸本の足が止まる。
「どうした?」
「日高。もしかして、前にもこんな事……あった?」
どこか恥ずかしそうな笑顔。相変わらず反則級の美人だ。
「いや、知らないけど」
「本当?」
岸本は少し納得出来ない様子を見せる。
他人に改変されていた過去は思い出さない方がいい。今は余計な情報を与えない方がいいだろう。
地図を見ながら進む。もう田畑と森しか見えない。かなり近いところまで来ているはずなんだけど……もしかして迷ったか?
「あれじゃない?」
岸本の指差す方に古い民家が見える。確かに看板があるな。
一見すると昔ながらの駄菓子屋の様な雰囲気だ。「ワタヌキ魔法具専門店」と看板に書いてある。
予想はしていた。ここには改変現象を解決する為の魔法具を買いに来たらしい。
入り口の前で躊躇していると、岸本が俺の腕を掴み、薄暗い店の中へ引き込む。
「入ろう、日高」
度胸があるな。ヤバい奴とか居たらどうするんだよ……。
中は学校の教室程の広さがあり、所狭しと置かれた商品に埋め尽くされていて視界が悪い。
外観と什器はかなりの年季が入っているが、店の中は綺麗に整頓されていた。逆に違和感がある程だ。
「誰かいる……!」
岸本が腕にしがみ付く。
店の奥に人影が見える。それはゆっくりと姿を現した。
五十歳位で小太りの男だ。
「おお〜。久しぶりだねぇ」
そう言って黒縁の眼鏡を右手で持ち上げる。剃り上げた頭が同時に光った。




