第15話 日高誠と分身体
あれから四日が経った。不思議と「影」は一度も出現していない。
警戒したとたんにこれだ。改変者はどこかで見ていて笑っているのかと疑ってしまう。
「まあ、そんなものだよ。日高の周りで何か違和感は無いの?」
放課後の化学室。
いつもの様に水鞠は机でノートパソコンを叩き、魔法士協会への報告書を書いている。
最近、このパターンばかりだな……。
「違和感……ねぇ……」
俺は化学室の隅で光る解析魔法の球体を眺めながら答えを探してみる。
「岸本に少し距離を置かれている気がするな」
「一緒に出掛けた同級生が突然半裸になったらアタシもそうするわ」
「……だよな」
俺もそうするわ。確かに。
「でもまだ一緒に帰っているんでしょ? 仲良く」
何かトゲの有る言い方だな……。
「まだ視線を感じるらしい。一人で帰るのが怖いってさ」
俺の言葉に、キーを打つ手を止める水鞠。
「それって本当かな」
そう言ってから不思議な猫の様な瞳を向けて来た。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だけど。馬鹿なの?」
溜息混じりに水鞠が呟く。何かさっきからトゲがあるな。
「またストーカー犯が動いているかも知れないだろ?」
「確かに……影を消滅させても欲望が消えずに、また影を生み出す改変者もいるけど……」
「だろ?」
「そういう意味じゃないのよ。アタシが言いたいのは……。もういいよ!」
水鞠は怒ってだんまりになってしまった。岸本に続いて水鞠からもこの仕打ちか。どうなっているんだよ……。
違和感なんて無い。それ所か、最近は謎の充実感を感じていた。
俺がラケットやらを魔法で引き寄せた事から始まり、謎の魔法陣を作らされ、今は未来を改変する犯人探しだ。
この雑なファンタジーが退屈な毎日を変えたのは間違い無い。
……面倒臭い事には変わり無いけど。
結局、今日も何も起こらないまま時間が過ぎ、化学室を跡にした。
夏の夕暮れが慌ただしい学校生活一日の終わりを告げている。
「科学部……か」
部活帰りの生徒が、目の前を通り過ぎる度に考える。
入部するのも悪くないかもな。
いやいや、この一件が終わったら俺は魔法パンチで記憶を消されるかも知れない。全てが終わったら考える事にしよう。
空は夕方の終わりを告げるかの様に星座が姿を見せ始めていた。
駅は帰宅時間が重なり混み合っている。人を縫って駅の改札口へ向かう。
スマホを確認すると、母親から買い物リストが送られて来ていた。パンに牛乳……。スーパーは駅から少し離れているから面倒臭いな。
コンビニでいいか……。何か疲れたし。
パスケースを用意し、改札口を通ろうとしたその時、足が止まった。
俺の足を止められる人間なんてごく僅かだ。その中の一人、岸本紗英がそこに居た。
いつもは降りた駅の改札口で会っているが、このパターンは初めてだ。そんな事は当たり前だ。岸本はここで俺を待っていた訳じゃない。
背の高い私服の男と話をしている。恐らく偶然出会ったのだろう。
遠目からでもすぐに分かった。鍛えられた体つき、整った顔立ちに眼鏡がよく似合う。ボーダーのシャツに黒のスキニーパンツでシンプルなスタイルだ。
岸本紗英の好きな人、新澤晴人がそこに居た。二人は元々この駅の近くに住んでいたのだから、偶然会う事もあるだろう。
まるで絵に描いた様な、お似合いのカップルじゃないか。何やら楽し気に会話をしている。
邪魔しちゃ悪いな。
岸本は俺に気付いて無い。息を殺し、スパイの様に気配を消して改札口を突破する。
良かった……バレていない。いや、別に気付かれても無視して行けば良い話だった。何でこんな事したんだよ俺は。
すぐに電車がホームに到着した。迷い無く乗り込み、二駅を移動した。
「さて、どうするか」
いつも待ち合わせしている改札口で立ち止まった。
このまま待つか? いや、それもどうなんだ? 話が盛り上がって帰って来ないかもしれないし、食事に誘われているかもしれない。
だけど俺がメールを送って「先に帰っていいかな?」なんて聞くのも変だ。ていうか、そっちから送って来いって話だ。
考え抜いた末、俺はコンビニには寄らず、スーパーで買い物を済ませた後、一度駅に戻る事にした。
そこで岸本に会えなかったら一人で帰るつもりでいた。まあ、そんな事は無いだろうと思っていたが、その考えは覆された。
岸本紗英がいつもの様に、いつもの場所で待っていた。
「さっき駅で会ったのに無視して先に行ったでしょ」
長い髪をなびかせて、岸本紗英が駆け寄って来た。
「いや、ゆっくり話して行くのかと思ったからさ。会うの久しぶりだったんだろ?」
もしかして、あまり話が弾まなかったパターンかな。だとしたら残念に違い無い。
そう俺が言うと、岸本は自慢げな表情に変わる。
「食事に誘われたよ」
「行かなかったのか!?」
思わず雑に返してしまった。当たり前だ。岸本紗英はここに居る。行っているはずがない。
「断ったよ。そんな気分じゃ無かったし」
「……そうなのか?」
それって、昔からの夢が叶った瞬間だと思うんだけど……。どういう事だ?
「帰りましょう」
岸本が先に歩き出す。慌てて追いかけ距離を縮める。薄暗い路地を通り真っ直ぐに家へ向かう。
分からん。岸本の考えている事が分からない。
「お礼がしたいんだけど」
岸本紗英が唐突に言って来た。
「お礼? 何の?」
公園の一件以来、妙な距離感があったのに何で急にそんな事を言うんだ?
「ずっと考えていたの。日高には晴人さんの事とか、ストーカーの事でお世話になりっぱなしかなって」
「あ、ああ。それね」
散々理由を付けて付き合わせておいて、本当に今更だな。
「別にそんなのいらねーよ」
岸本が今置かれている状況は、もしかしたら俺の魔法のせいかも知れない。だからお礼なんて必要無い。
それを聞いた岸本は納得の行かない様子だ。
「そうだ! 高崎さんとの事、応援しようか?」
「ゲホッ! ゲホ!?」
岸本の言葉に思わず咳込む。落ち着くのを待ってから確認をする。
「応援って……何を!?」
「だって日高、高崎さんの事を可愛いって言ってたじゃない?」
「え!? 言ってねーよ!」
「言いました。ハッキリと言いました!」
まるで名探偵が犯人を追い詰める様な真剣な表情だ。何で女子ってこんなに恋バナが好きなんだ?
そういえば公園で高崎に偶然に会った時にそんな感じの事を言ったかもしれない。
「高崎は好きなタイプだけど恋愛対象じゃないというか……」
本当の高崎花奈は見た目とは違う人間な気がする。それに気付いた時、彼女に対しての気持ちは無くなっていた。
「じゃあ水鞠さん?」
「水鞠!?」
そんなの考えた事も無かったぞ!?
水鞠コトリとは毎日顔を合わせているせいか、いつの間にか友達になっていた。
遠慮無しに話せるし、話題が無くても焦る事は無い。割と吉田に近いポジションだ。
今まで友達と呼べる奴が少なかった事を思うと自分でも驚きだ。水鞠コトリの「友達が居なさそうなオーラ」が俺に近い気がするし、似た者同士で安心するのかもしれない。
「水鞠は違うかな」
そう岸本に伝える。
「ふーん。何か残念」
全然残念そうな感じじゃない。弄る気満々だっただろ。
「……吉田?」
「吉田!?」
吉田玲司は付き合っても何のメリットの無い俺と友達になってくれた変な奴だ。そして……。
「……って何で吉田が攻略対象になってるんだよ!? どんなフラグ立てたらそのルートに入れるの!?」
「違うよ日高……。前……」
暗い道の先に人影が揺らめいている。
誰かが居る。何者かが俺達を見ている。
スポーツ刈りの頭。体格……。確かに吉田に見える。
だが吉田がここにいる訳が無い。吉田の家はここから遠く離れた場所にある。そうだよ。あり得ない話だ。
ピリピリとした空気と共に、何かが皮膚を刺す感覚……。そして暗闇の幕が落とされた。
「あれは吉田じゃない」
「え……でも……」
岸本が俺の後に隠れ、小刻みに震える。
人影と俺の距離がジリジリと縮まって来る。足が動いている気配が無い。仁王立ちのまま移動している。
「日高……!?」
「あれは吉田じゃない」
「でも……!」
「違う」
あれは吉田じゃない。あれは吉田じゃない。
あれは吉田じゃない。あれは吉田じゃない。
あれは吉田じゃない。あれは吉田じゃない。
あれは吉田じゃない。あれは吉田じゃない。
あれは吉田じゃない。あれは吉田じゃない。
路地の闇が深くなる。
その範囲は急速に広がり、遂に何も見えなくなった。
暗闇だ。
「大丈夫!? 日高」
岸本の声で我に戻る。気が付くと人影が消えていた。覆っていた暗闇も晴れ、生暖かい風が首筋を撫でる。
「良かった。立ったまま動かないから、どうなるかと思った」
岸本紗英が安心した表情を見せる。
「悪い。もう大丈夫だ」
荷物を持ち直し、二人並んで歩き出す。
空も路地も全てが元の状態に戻っていた。
「見間違いだよね。吉田がこんな所にいる訳無いし」
「……そうだな。絶対に違う」
答えに反して足の震えと酷い頭痛が止まらない。
岸本には気付かれない様にしつつ、どうにか家まで辿り着く。
門を開け、フラフラと家に入ると、玄関に買い物袋を置き、そのまま二階への階段を上がった。微かに妹の声が聞こえた気がしたが、答える気分じゃ無かった。
震える手で部屋の扉をゆっくりと開ける。
すると、乾いた外気が身体を通り抜けて出て行った。
──何故かはすぐに理解した。
「座って」
魔法着を着た水鞠コトリがベッドに座っている。そして仮面を着けた二人の魔法使いも部屋の中で立ち並ぶ。
「何で三人もいるの!?」
六畳しかない俺の部屋は満員電車状態だ。そして窓が破壊されている。さらに頭痛が酷くなった。
荷物を置き、ベッドに向かう。そして言われた通り、水鞠の隣へ腰を下ろした。
「ち、違う。そっちだから!」
水鞠が部屋の中央を指差す。仕方なくそこに移動し、正座した。
そのやり取りを見た「弓」と「壁」の魔法使い達が顔を近付けてヒソヒソ話を始めた。そして首を振ったり頷いたりしている。きっと良からぬ推測をしているに違いない。
水鞠はそれを横目で見ると、溜息をつく。
「逃げられた。この時を狙っていたのに」
「狙っていた!?」
水鞠の猫目が怪しく光る。
「吉田玲司は改変者だよ」
心が騒つく。
そんな事は分かっていた。でも信じたく無かった。
「初めから疑ってたのかよ。吉田の事」
「違う。でもその考えに辿り着いたんだよ。日高は影に出会い過ぎていた。その周りの人間を疑うのはセオリーだからね」
「あれは吉田じゃない」
「吉田だよ。吉田が生み出した影」
「違う。吉田には影を生み出す理由が無い」
水鞠が黙り込む。
俺を落ち着かせようとしている事が分かる。だが俺はずっと冷静だ。
その間を埋める様に弓の魔法使いが動く。
「岸本紗英への恋愛感情、新澤晴人への嫉妬、日高誠への羨望。十分な理由です」
「吉田はそんな事で他人を恨んだりしねーよ。ていうか、最後の理由だけは絶対無い」
真面目に話しているのに状況が状況なだけにシュールな絵にしかなっていない。こんな人口密度の中で正座して話す内容じゃないでしょ。
「アイツは見たまんまのアホなんだよ。もしあれが本当に吉田の『影』だったとしたら理由は他にあるはずだ」
「話になりませんね」
弓の魔法使いは肩を落とす。
その間、壁の魔法使いは暇だったのか勝手に俺のタンスを開けたりベッドの下に手を突っ込んでみたりと部屋を探索し始めた。
ちょ、ベッドの下は止めて! お願いだから! ヤバいの出て来ちゃうから!
「日高。時間が無いよ。吉田の影は本体に近い存在……分身体に変化してる。早く消滅させないと大変な事になる」
水鞠が帽子を被り、立ち上がる。
公園で出会った「叫ぶ影」も人の形をしていた。あれも分身体と呼ばれる状態だった訳か。
「このまま放置すると、どうなるんだ?」
「欲望を叶える為に未来改変を起こす。その後は本体の吉田玲二を乗っ取る」
「乗っ取る……!?」
「そうなったら本体ごと魔法でダメージを与えるしか倒す方法が無い。深刻な後遺症が残る場合もあるよ。最悪は死……」
マジかよ……。ここに来て最悪の結果になりそうだ。そうなる前に吉田の分身体を捕まえないと……。でもどうやって?
「コトリ様。岸本紗英と日高誠に護衛を付けて分身体を待ち受けるべきです」
弓の魔法使いが提案する。
「駄目だ。吉田はそんな事を願っていない。時間の無駄だ」
俺は即座に反対する。
「日高は、吉田玲二が改変者になっている理由が分かるの?」
水鞠が優しい声で尋ねて来る。
「……分からない」
正直、本当に分からない。でもこれだけは解る。
吉田が俺や岸本に対して、影を生み出す様な人間じゃ無い。
「…………」
まるで影が出現したかの様に空気が張付く。沈黙が時間を支配する。
「……わかった。日高の事、信じるよ」
「コトリ様!?」
水鞠の言葉に弓の魔法使いが驚きの声を上げた。壁の魔法使いも部屋を探索する手が止まる。
「日高の言う通りなら、引力魔法で分身体を引き寄せる事が出来るかもしれない。それに賭けてみる」
「まさか……日高誠に召喚させるおつもりですか……?」
弓の魔法使いが頭を抱えた。
よく分からないが、それが無茶な事だという事は伝わって来た。
「日高は明日の朝七時に吉田玲司を学校に呼び出しておいて。準備が出来次第、連絡する」
水鞠はそう言って部屋の窓近くへ移動した。仮面の二人はしばらく固まっていたが、我に返って急いで水鞠に続く。
「じゃ、また明日。科学室で」
そう呟くと、窓を豪快に破壊して飛び出して行った。飛び散る破片。
何度目の前で起きても慣れないな。このシチュエーションは……。
ぼうっとしている場合じゃない。すぐにケータイを取り出す。
『明日朝七時に教室に来てくれ』
急いで打ち込み、吉田へメールを送る。
あ、何でなのか理由を書いていなかった。理由も無く呼び出すなんて怪しすぎる。これじゃ変なフラグが立っちゃうよ!?
でも、どんな理由を付ければいいんだ?
ケータイの着信が鳴る。メールを受信したらしい。
『おう』
吉田らしい短い返事だった。




