3. 比翼連理の響き
「奏斗さまぁ!」
祖人の女たちの嬌声が上がった。
つい先程まで奏斗はホール中央の立ち位置に向かって歩を進めながら、自分の名を呼ぶ声がするたびにそちらに笑顔を振りまいていた。この時はまだ運命の番に出会えるとは思いもしなかった。
「きゃあ!」
それだけで女たちは手を取り合って喜んでいる。
こちらを見守る父と目が合うと、満足げに頷いていた。
祖人からの評価が高いのはよいことだ。ほかの者より報酬も得られるし、それによって鳥人からも尊敬される。
鳥人は芸能、中でも特に音楽を得意とする種族だ。そして家によって代々受け継がれる才が異なる。天羽家の一家相伝は歌唱である。
受け継ぐといっても、親から子へ稽古をつけるわけではない。顔や体質が似るように、生まれながらにして備わっているものだ。
奏斗の父である隼人は、若いころから屈指の歌い手だったという。しかも、奏斗は神鳥・迦鸞の加護を受けた神童だ。周囲の期待が高まるのも当然だった。
しかし、奏斗は歌の才以前に、成長が遅く、次第に周囲から失望されつつあった。
鳥人は卵として生まれ、卵から孵ってからも雛の間しばらくは鳥姿で過ごす。ただ、鳥類とは異なり、姿が定まらない。些細な気分の変化で様々な種類の鳥の姿に変わる。成長に伴い、その変身する姿の中に人の形が混じってくる。次第に人の姿でいる時間が長くなっていき、やがて定着する。
その成長過程で、奏斗は長く鳥姿しか持たなかった。ほとんどの鳥人が人の姿に定着する三、四歳になっても、奏斗に人の姿になる兆しすらなかった。ただしそれは姿に限ったことで、人の言葉は理解し、感情もあった。人語を操るのはたどたどしかったが、理解できていることは両親や身内にも伝わっていた。いずれは人の姿になるはずと信じながらも、外部には隠されていた。
鳥人の子は六つになると学舎に通い始めるが、鳥形のままの奏斗は屋敷から出ることを禁じられていた。
天羽家に嫡子がいることは周知の事実だったが、けして表に出ないことから、巷では天羽家のことだから特別な英才教育を受けさせているのだろうと噂された。そう思わせるだけの才が両親にはあった。あの二人の天才の子ならば凡人の学舎などでは物足りないに違いない。そんなふうにまことしやかにささやかれた。
だが実際は雛鳥である。何かを学ぶどころか、人としての日常生活もままならない。それでいて、思考と感情は人のそれであるから、奏斗は焦りと苛立ちで荒れていた。屋敷中を飛び回り、物を壊した。
時には屋敷を飛び出して、禁じられている外の世界にまで家出をすることもあった。外に出てしまえば、誰も奏斗が鳥人だとは気づかない。一羽の鳥だ。それは獣や鳥から見ても同じことで、猫や烏に襲われることもあった。
よく生きていたものだと自分でも思う。
七つの誕生日を目前に控えたある日、またしても家出をして右肩に怪我を負った奏斗だったが、屋敷に連れ戻された翌朝、目覚めると人の姿になっていた。それきりもう二度と鳥姿になることはなかった。突然の変身だった。
それが二十三歳の今では、鳥人を代表する歌い手のひとりとなっている。鳥人、祖人を問わず女性からは特に注目されている自覚もある。
そうなると出てくるのが縁組みの話だ。天羽家の子は奏斗だけであるから、いずれは嫁を迎えなければならないことはわかっている。約束を交わしたわけではないが、親が決めた婚約者のような人もいる。正直気乗りはしないが、抗うつもりもない。
ホールの中央で足を止め、両足を軽く開く。目を閉じ、左手を胸に当てると、あんなにも上がっていた嬌声がぴたりとやんだ。奏斗は素早く息を吸い込むと、歌い始めた。
最後の声をそっと置く。
しばらく静まり返っていたが、やがて誰かが躊躇いがちに手を叩いた。ぱらぱらと小雨のような拍手に変わり、まもなくホールの壁が震えんばかりの拍手喝采となった。
奏斗は深くお辞儀をした。
拍手が一際大きくなり、奏斗がその場を離れると、ようやく歓談のざわめきと変わっていった。
「よくやった」
肩に置かれた手は父だった。
「ありがとうございます」
「もう立派な歌い手だ。そろそろ縁組みも進めないとな」
「その話は……」
奏斗が返事をする前に女性たちに囲まれた。
「奏斗さまぁ!」
その様子を見た父は、右手を軽く上げる挨拶を残し、どこか嬉しそうにその場を去った。
「奏斗様、素敵でしたわ」
「恐れ入ります」
笑顔で応じると別の女性が割り込んできた。
「素晴らしいお声で聞き惚れてしまいましたわ」
「それは光栄です」
こちらにも笑みを見せればまた別の女性が目の前に立つ。
「もうっ、奏斗様ったら、どうしていつまでも他人行儀な言葉遣いなの?」
しな垂れかかられて、内心、苦笑する。だってみんな他人じゃないか。大切な客ではあるが、それ以上でも以下でもない。
「申し訳ありません。少し休ませていただきます」
愛想笑いをしつつ、腕や裾に捕まる手を優しく払いのけ、どうにかホールの外の廊下に逃げ出した。後ろ手にホールの扉を閉めると、ざわめきが遠のいた。
壁に寄りかかり、大きく息を吐いた。
「やれやれだな」
歓談の場はどうも苦手だ。逃げ出しては来たものの、喉が渇いていた。飲み物くらい取ってくればよかった。しかし戻ればまた囲まれてしまうだろう。
飲み物のために戻るべきか否か迷っていると、かすかにカチャカチャと食器の触れ合う音が聞こえた。廊下の先に給仕室があるようだ。
そうだ。給仕室で飲み物をもらおう。
廊下を進むとかすかに歌声が聞こえてきた。
「こんなところで誰が……?」
乾いた心に染み込むような歌声だ。技術や声質なら、もっと優れた者はいくらでもいる。それなのに、この歌声は奏斗にとってどんなものよりも魅力的に感じられた。惹かれずにはいられない。
なにより、この歌は――
足早に廊下を進むと,給仕室の扉は開け放されていて、中ではひとりの女性が歌いながら洗い物をしていた。
「その歌……」
思わず声をかけると、女性の肩がびくりと跳ねた。
パリーン
洗っていたティーカップが女性の手から滑り落ちた。
「も、申し訳ございません!」
振り向いた顔は青ざめていた。そんなに怯えさせてしまったのか。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「いや、謝るのはこちらの方だ。いきなり声をかけてすまなかった」
すぐさま謝ったのだが、目の前の女性はすっかり怯えきっていて奏斗の声が聞こえていないようだ。
しかし、それよりも。
奏斗は身体中に鳥肌が立つほどにその声に魅了されていた。
この声だ。ずっと探し求めていた。
〝比翼連理の響き〟
その歌声は聞けば必ずわかるという。結ばれるべくして結ばれる運命の番の声。
ほとんどの鳥人は生涯のうち一度は誰かと番になる。だが、その相手が運命の番であることは珍しい。出会える者はわずかだという。
運命の番を得た者は必ずこう言うらしい。
出会えばわかる。比翼連理の響きを奏でるから。
そのような漠然としたもので運命の番を見つけられるとは到底思えなかった。今この瞬間までは。
奏斗の心は喜びに震えた。俺は出会えたのだ。
あの歌声こそ比翼連理の響き。
「貴女こそ俺の――」
奏斗は引き寄せられるように足を踏み出した。
琴音は、奏斗の姿に見惚れ、奏斗の声に聞き惚れた。
ああ、なんてやわらかな声なのだろう。
奏斗の声に抱き締められている気分だった。
母に抱き締められて眠った幼いころを思い出す。あたかくて、やわらかい、この世で唯一安心できる場所。それも今はない。
失われたあの場所にまた身を寄せられたら。
望みなどもったことはなかった。どんなにささやかな望みでさえ叶うことはないと知っているから。誰にも望まれない身だから。だけど――
琴音も奏斗に向かって一歩踏み出した。
この方のおそばにいたい――
金色の声が琴音を手繰り寄せる。
「貴女こそ俺の――運命の人」




