2話
「ワタクシのライバルと認めますわ!」
宣言と共に、剣を掲げる。
刃には既に、
ヴィスコンティ家秘伝ーーー大蛇の猛毒が、
どす黒い紋様となって這っていた。
エンチャント対決は、生徒会が正式に取り仕切ることになった。
「これ以上、平民に舐められては困る」
誰かがそう耳打ちしていたのを
聞こえないふりで聞いた。
くだらない。
舐められる舐められないの話ではないのだこれは。
もっと個人的な問題になりつつあった。
理由は分からない。
ただあの何も揺らがない横顔を揺らがせたかった。
見てみたかった。それだけだ。
対決前夜、兄のガイウスが珍しくわたくしの部屋を訪れた。
「2度はないぞ」
「当然ですわ。ヴィスコンティの誇りに懸けて」
「誇り、ね」
兄は疑わしげにこちらを見た。
何かを見透かすような、あの目。
堅物な兄には、時々こういう鋭さがある。
「妙に力が入っているように見えるが」
「気のせいですわ」
「ならばいい」
それだけ言って、兄は部屋を出て行った。
相変わらず愛想のない人だ。
だが、一瞬の視線がなぜか胸の奥に引っかかった。
対決当日。会場には、取り巻きたちの姿もあった。
「今度こそ、ベアトリス様の勝利は間違いありませんわ!」
「あんな庶民の小娘に、二度も負けるはずがございませんもの!」
無邪気な声援が、かえって重荷になる。
彼女たちには分からない。
わたくしが本当に欲しいものが、勝利ではなくなりつつあることを。
「エンチャントは剣に。ヴィスコンティ家秘伝、大蛇の猛毒を」
宣言と共に、剣身にどす黒い紋様が這う。
実戦用の付与だ。触れれば、致命傷は免れない。
会場が一瞬で静まり返る。
今度こそ、格の違いを見せつけられるーーーそう思っていた。
対するモカは、杖をくるりと一回転させただけだった。
「んー、じゃあこれで」
杖の先から、ふわりと甘い匂いが漂う。
現れたのは、こんがり焼き色のついたタルト。
会場が、一拍置いてどっと沸いた。
「......それは、何ですの」
「見て分かんないの?タルトだよっ」
「エンチャントの話をしていますのよ!」
「これもエンチャントだよ。食べると元気出るし、魔力も回復するし。あ、美味しいし」
審査員たちが困惑げに顔を見合わせている。
毒か、菓子か。物差しにもならない対決に、
わたくしの毒の付与は、静かに、しかし確実に霞んでいった。
結果はーーーわたくしの、また敗北。
会場からは、拍手と共に笑い声が起こった。
誰も、毒を喜ばない。
けれど、誰もが、あのタルトには笑顔になった。
実用性でも、心証でも、負けたのだ。
取り巻きたちの落胆した顔が視界の端に映ったが、
不思議とどうでもよかった。
呆然と立ち尽くすわたくしの前に、
モカが歩み寄ってきた。
手には、まだ湯気の立つタルトを一切れ。
「はい、あーん」
断る間もなく、口元に運ばれる。
反射的に、口を開けてしまった自分が信じられない。
けれど、それよりもーーー
モカの目が、まっすぐこちらを見ていた。
いつもは誰も見ていないような、遠くを見るような目。
それが今、確かに、わたくしだけを映している。
「ね?美味しいでしょ?」
「べ、別に。美味しいなどと、思っておりませんわ」
頬が、燃えるように熱い。
負けたはずなのに。
悔しいはずなのに。
こんな顔で笑うなんて、反則だ。
モカはそれ以上何も言わず、
興味を失ったようにきびすを返した。
いつもの調子で、興味なさそうに。
それだけだったのに、わたくしの心臓だけが、
いつまでも落ち着かなかった。
昼休み、中庭のベンチで、取り巻きたちがまた恋バナに興じていた。
「聞いてくださいまし、隣のクラスの子、片想いの相手と目が合っただけで、一日中そわそわしていたそうですのよ」
「分かりますわ。あたくしも、好きな方の名前を呼ばれただけで、心臓が跳ねますもの」
「初恋相手って親に似ているとよく言いますわ」
「会えない日は、何をしていても上の空になってしまいますし」
「それに、他の誰かと親しげにしているのを見ると、無性に胸がざわつきますの」
以前のわたくしなら、鼻で笑って一蹴していただろう。今日は、なぜかその言葉たちが、耳の奥に絡みついて離れなかった。
ーーー目が合っただけで心臓が跳ねる。
ーーー会えない日は、上の空になる。
まさか。
わたくしは首を振って、足早にその場を離れた。
くだらない。
その夜、ヒルダが部屋を訪れた時、
わたくしは自分でも驚くほど饒舌になっていた。
「今日もまた、負けましたの」
「さようでございますか」
「でも、あの子、変わった子ですわ。
誰も見ていないくせに、急に、まっすぐ見てきますの。それに、笑い方も、変というか......妙に、こう」
言葉が、続かない。悔しさの話をしていたはずなのに、気づけばモカの表情の話ばかりしている。
ヒルダは、いつものように黙って聞いていた。
ただ、その眼差しがいつもより少しだけ、
優しかった気がした。
「べ、別に、深い意味はありませんのよ。
ただの、ライバルとしての観察ですわ」
「さようでございますね」
「ヒルダ、聞いていらっしゃいますの?」
「ええ、ちゃんと」
それきり、ヒルダは何も言わなかった。
助言もせず、茶化しもせず。
ただ、静かに微笑んでいるだけ。
その夜、わたくしはなかなか寝付けなかった。
目を閉じるたびに、あの、まっすぐな眼差しが浮かんでくる。
一体、わたくしはどうしてしまったのだろう。
答えの出ないまま、夜はゆっくりと更けていった。




