3話
異変に気づいたのは、翌朝のことだった。
いつも中庭で絵を描いているモカの姿がない。
授業にも顔を出していない。
妙な胸騒ぎがして、
わたくしは気づけば校舎裏へと足を向けていた。
そこにいた。荷物をまとめている。
まとめているーーー?
「あなた、何をなさっていますの」
「ん?」
モカはようやくこちらを見て、けれどその目には、
いつもの熱がなかった。
何かもっと、遠くを見ているような目だった。
「魔法、もう飽きちゃったからね」
「......は?」
「絵の方が面白くなってきたからさ。
王都の芸術学園の理事さんが、あたしの絵見て、
来ないかって。だから、明日からそっち行く」
あまりにあっさりと告げられた言葉に、
わたくしはしばらく反応できなかった。
あれほどの才能を、これほどあっさりと。
「あなた、それでは、わたくしとの勝負は......」
「勝負?魔法の見せ合いっこのやつ?
あれね。楽しかったよ、あれはあれで」
ーーー遊びだった。
この子にとっては、わたくしの家名と誇りをかけた
必死の対決すら、ただの遊びだった。
わたくしの中で、何かがぐらりと揺れた。
悔しさとも違う、もっと足元が崩れるような感覚。
「ベティにあんなことしておいて、あなた!
なんなんですの〜!!??」
咄嗟に叫んでいた。
誰にも呼ばせたことのない、
身内だけの呼び名で。
モカは、きょとんとした顔で首を傾げた。
「えと、ごめんなさい......誰でしたっけ?」
ーーーああ。
そうだ。この子には、最初から、
わたくしなど存在していなかったのだ。
その日は、何も手につかなかった。
授業の内容も、取り巻きの声も、
何一つ頭に入ってこない。
生徒会の書類も一向に手がつかない。
放課後、取り巻きの一人が、遠慮がちに声をかけてきた。
「ベアトリス様?あの、大丈夫でございますか?
なんだか、今日はずっと上の空で」
「......そうかしら。気のせいですわ」
答えながら、ふと気づく。
この子の名前を、わたくしは知らない。
入学時から傍にいたはずなのに。
モカに誰でしたっけ、と
困り顔をされたのを思い出す。
人のことを言えた義理ではなかったのだと、
今更ながらに思い知った。
夜。
いつものようにヒルダが部屋を訪れた時、
わたくしはとうとう堪えきれず、
椅子に座り込んだまま涙を流してしまった。
「今日、モカが学園を辞めて王都へ発つと」
「さようでございますか」
「悔しいですわ......
あんなに才能があるのに、あっさり手放して。
わたくしとの勝負すら、遊びだったと言って......
それに、わたくしの名前すら、覚えていなくて」
言葉があふれて、止まらない。
「なぜ、こんなに、苦しいんですの。
あんな天賦の才能を持っていて
このわたくしを圧倒しておいて
わたくし今まで負けたことなどありませんでしたけれど。
ヴィスコンティ家が負けてしまった気がして
眠れないほど考え込んだことなど......」
そこまで言って、ふと、昨日の言葉が蘇った。
ーーー名前を呼ばれただけで、心臓が跳ねる。
ーーー会えない日は、上の空になる。
ーーー他の誰かと親しげにしているのを見ると、胸がざわつく。
くだらないと切り捨てたはずの、あの恋バナ。
今のわたくしを、これほどまでに言い当てている言葉があっただろうか。
まさか。まさか、あれは。
「このワタクシが?」
声が震える。
「平民に......しかも、女の子に......?」
ヒルダは何も言わず、ただじっとこちらを見ている。その静かな眼差しに、心臓を鷲掴みにされたようだった。
「ーーーそ、そんなはずありませんわ〜!」
叫んだ瞬間、頭の中で何かが弾けた
否定すればするほど、はっきりしていく。
ああ、そうか。そうだったのか。
椅子を蹴るように立ち上がっていた。
「わたくし、このままでは納得できませんわ!」
「お嬢様?」
「モカを、追いかけます! 」
夜の廊下を、令嬢らしからぬ勢いで駆け抜ける。
玄関を飛び出し、月明かりの下、
王都へ続く道を走る。息が上がる。髪も乱れる。
こんな格好、誰かに見られたらーーー
そんなことすら、もうどうでもよかった。
どれくらい走っただろうか。
息を切らして立ち止まった時、
背後から、聞き慣れた声がした。
「何の荷物も持たず、どうするおつもりですか」
振り返るとヒルダが涼しい顔で立っていた。
息一つ乱していない。
「え?ヒ、ヒルダ......?どうして?」
手にはわたくしの手荷物を1式持っていた。
「お嬢様のことですから
家を飛び出し兼ねないと用意しておりました」
それから、少し困ったように、ヒルダは微笑んだ。
「それに、お嬢様は何か、誤解をなさっているようですし」
「誤解......?」
「私が愛しているのは、
旦那様ではなく奥様の方です。
私をヴィスコンティ家に呼んだのは、
旦那様ではありません。
奥様でございますよ?」
言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。
父とヒルダが。いや、そうではなくお母様が?
呆然とするわたくしに、ヒルダは静かに続けた。
「だってモカ様は、
お話を聞く限り......
そっくりですもの。
あなたの母に。
私が愛したあの人に......」
その言葉の意味を、わたくしは深く問わなかった。ただ、ヒルダの横顔に、
初めて見る種類の優しさがあることだけは分かった。
「王都へ行きますわよ、ヒルダ」
「はい、お嬢様。お供致します」
月明かりの道を、二人並んで歩き出す。
追いつけるかどうかは分からない。それでも。
「モカ、待ってなさい」
夜空に向かって、わたくしは宣言した。
「このわたくしの名前と顔を......
必ず覚えさせますわ!」
それ以上何も言わずにわたくしの横をただ黙って
着いて歩くそのわがヴィスコンティ家の客人に
わたくしは王都への長い道を退屈しないように
今1番気になることを尋ねた。
「ヒルダ。あなたと、お父様、お母様が
冒険者をしていた頃のお話を
ぜひ、聞かせてくださいまし」
「ええ。お嬢様。それは私の初恋のお話でございます」
初恋の相手は
親に似る
なんてよくある話らしいですわ。
ーーー完ーーー
ご愛読ありがとうございました!
反応いただけるようなら
このベティとヒルダが
モカを追いかけて王都で
生活を始める続きを描きたいと思っています
続きが見てみたいと
思っていただけましたら
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