第九十九話 感情が戻る街
感情は、人を苦しめる。
でも、“感じることをやめた世界”よりは、きっとずっと美しい。
朝の光が、向こう側の透明都市を包み込んでいた。
ネオンは消え。
黒い感情の海も、静かに薄れていく。
ビルも。
道路も。
全部が、光の粒になって空へ溶けていた。
レンは、その景色を静かに見つめている。
終わった。
いや。
“戻り始めた”のかもしれない。
本来あるべき形へ。
その時。
紗凪が小さく言った。
「……帰りますか」
レンは頷く。
胸の奥には、まだ痛みが残っている。
でも。
不思議と、前みたいな空っぽさはなかった。
紗凪が、崩れかけたエレベーターを見る。
鏡張りの古い扉。
でも。
もう境界は閉じ始めている。
レンと紗凪は、静かに乗り込んだ。
扉が閉まる。
ゆっくり浮上する感覚。
その途中。
レンは鏡を見る。
映っているのは、自分だった。
ちゃんと。
泣いた跡のある、自分自身。
でも。
今度は、目を逸らさなかった。
―――――
エレベーターが開く。
現実世界。
透明都市の朝。
ビル街へ、柔らかな光が差し込んでいた。
でも。
街の空気は、明らかに変わっていた。
静かじゃない。
人々の感情が、“ちゃんとある”。
交差点では、泣きながら抱き合う恋人。
道端では、座り込んで泣いているサラリーマン。
怒鳴り合っていた二人が、最後には笑いながら泣いている。
みんな。
“感じ直していた”。
レンは、その光景を見つめる。
苦しそうだった。
でも。
どこか、生きていた。
その時。
遠くから声。
「レン!!」
振り向く。
美月だった。
息を切らしながら走ってくる。
レンは思わず笑う。
美月は、レンの前で立ち止まった。
目が赤い。
多分、泣いていた。
でも。
ちゃんと笑っている。
美月は、震える声で言った。
「……無事でよかった」
その瞬間。
レンの胸へ、熱が広がる。
怖かった。
失うのが。
壊れるのが。
でも。
それでも。
この感情を、もう消したくなかった。
レンは、美月へ静かに手を伸ばす。
美月も、その手を握る。
温かかった。
ちゃんと、生きている温度だった。
その時。
空を見上げた紗凪が、小さく呟く。
「……終わったんですね」
レンは空を見る。
透明都市の朝。
今までで一番、“人間らしい街の音”がしていた。
読んでいただきありがとうございます!
第九十九話です。
次回、ついに第百話――“透明都市アーカイブ”最大の真相へ繋がるエピソードへ入ります!




