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透明都市アーカイブ―愛を売った男たち―  作者: 秀人


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第九十二話 感情を集めた女

感情を捨てることが“弱さ”なのか。

それとも、“抱えきれないほど人間らしい”だけなのか。

 黒い感情の海が、街を揺らしていた。


 


 


 怒り。


 


 


 孤独。


 


 


 愛情。


 


 


 喪失。


 


 


 何万もの感情が混ざり合い、“波”になっている。


 


 


 レンは息を呑む。


 


 


 胸が苦しい。


 


 


 空気そのものが、感情でできているみたいだった。


 


 


 その中心。


 


 


 感情の海の中に、一人の女が立っている。


 


 


 白い服。


 


 


 長い黒髪。


 


 


 静かな目。


 


 


 でも。


 


 


 その存在だけで、街全体が軋んでいた。


 


 


 紗凪が震える声で呟く。


 


 


 「……母さん」


 


 


 レンが顔を向ける。


 


 


 紗凪の表情は、初めて“娘”の顔をしていた。


 


 


 怖がっている。


 


 


 でも。


 


 


 止めなきゃいけないとも思っている。


 


 


 女は静かにこちらを見る。


 


 


 その目には、怒りも敵意もなかった。


 


 


 ただ。


 


 


 深すぎる悲しみだけがあった。


 


 


 女が口を開く。


 


 


 「……また、溢れたのね」


 


 


 その声が響いた瞬間。


 


 


 感情の海が、大きく揺れる。


 


 


 レンの頭へ、知らない感情が流れ込んでくる。


 


 


 『助けて』


 


 


 『愛してる』


 


 


 『苦しい』


 


 


 『死にたくない』


 


 


 レンは思わず膝をつく。


 


 


 痛い。


 


 


 感情が多すぎる。


 


 


 紗凪がレンを支える。


 


 


 「触られないで!」


 


 


 レンは苦しそうに息を吐く。


 


 


 女は、そんな二人を静かに見ていた。


 


 


 やがて。


 


 


 ぽつりと呟く。


 


 


 「人間って、どうして捨てるのかしら」


 


 


 その声は責めていなかった。


 


 


 むしろ。


 


 


 純粋に、不思議がっているみたいだった。


 


 


 女はゆっくり歩き出す。


 


 


 感情の海が、彼女の周囲で静かに揺れる。


 


 


 「愛してると言いながら」


 


 


 「苦しいと、すぐ捨てる」


 


 


 「悲しいと、すぐ切り離す」


 


 


 レンは顔を上げる。


 


 


 女の目は、どこまでも静かだった。


 


 


 でも。


 


 


 その静けさが逆に怖い。


 


 


 女は続ける。


 


 


 「私は、ただ残しておきたかっただけなの」


 


 


 「人間の感情を」


 


 


 「消えないように」


 


 


 その瞬間。


 


 


 レンは理解する。


 


 


 この女は。


 


 


 最初から悪意で始めたわけじゃない。


 


 


 むしろ逆だ。


 


 


 “人間の感情を大事にしすぎた”。


 


 


 だから。


 


 


 捨てられた感情を回収し続けた。


 


 


 消えないように。


 


 


 でも。


 


 


 結果として。


 


 


 この街は壊れ始めた。


 


 


 紗凪が震える声で言う。


 


 


 「……もうやめて」


 


 


 女が娘を見る。


 


 


 紗凪の目には涙が滲んでいた。


 


 


 「このままじゃ、街が壊れる」


 


 


 女は少しだけ悲しそうに笑った。


 


 


 「もう、とっくに壊れてるわ」


 


 


 その言葉で。


 


 


 レンの胸が強くざわつく。


 


 


 透明都市。


 


 


 感情を売る街。


 


 


 痛みから逃げ続けた人々。


 


 


 確かに。


 


 


 この街はずっと、静かに壊れていた。


 


 


 その時。


 


 


 女がレンを見る。


 


 


 真っ直ぐ。


 


 


 まるで心の奥まで見透かすように。


 


 


 そして。


 


 


 静かに聞いた。


 


 


 「あなたは、全部抱えられる?」


 


 


 その瞬間。


 


 


 感情の海が、大きく揺れた。

読んでいただきありがとうございます!


ついに“感情回収者”の正体と思想が見え始めました。

次回、レンは“感情を抱えて生きる覚悟”を問われます!


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