第八十三話 最初に感情を売った人
“救うための力”は、使われ方を間違えた瞬間に街を壊し始める。
「この街、ちょっとおかしいよね」
美月のその言葉が。
レンの頭から離れなかった。
感情を売る街。
痛みを削るシステム。
壊れていく人間たち。
それを、誰も止めない世界。
レンは、美月を駅で見送ったあと。
一人で月見坂へ戻っていた。
深夜の街は静かだった。
ネオンだけが、水たまりへ滲んでいる。
黒い店の扉を開く。
鈴の音。
すると。
珍しく、アカネがカウンターで煙草を吸っていた。
レンは少し驚く。
アカネは煙を吐きながら笑った。
「そんな顔してる時は、大体考え込みすぎてる」
レンは苦笑する。
「わかりやすすぎるだろ」
アカネは肩をすくめた。
レンはカウンターへ座る。
少し沈黙。
そして。
静かに聞いた。
「……なんで、この街って感情売れるんだ」
アカネの手が、ほんの少し止まる。
レンは続ける。
「最近ずっと思ってる」
「これ、普通じゃないだろ」
店内が静かになる。
アカネは煙草を灰皿へ押しつけた。
そして。
小さく息を吐く。
「知りたい?」
レンは頷く。
アカネはしばらく黙っていた。
やがて。
静かな声で言った。
「最初に感情を売った人の話、する?」
レンは目を細める。
その言い方。
まるで。
都市伝説みたいだった。
アカネは窓の外を見る。
ネオンの光が横顔を照らしている。
「今から二十年以上前」
「この街、まだ普通だったの」
レンは黙って聞く。
アカネは続けた。
「でもある日、一人の女が現れた」
「感情を“切り離す方法”を持った女」
店内の空気が、少し冷える。
レンは思わず聞く。
「……人間?」
アカネは苦笑した。
「多分ね」
冗談みたいな返し。
でも。
なぜか笑えなかった。
アカネは静かに続ける。
「その女、最初は“救い”だった」
「大事な人を亡くした人」
「壊れそうな人」
「生きられなくなった人」
「そういう人の苦しみを、少しだけ切り離した」
レンは目を伏せる。
確かに。
最初は救いだったのかもしれない。
耐えられない苦しみから、生き延びるための。
アカネは静かに言った。
「でも、人間って慣れるの」
「苦しみを削ることに」
店内が静まり返る。
アカネは続ける。
「最初は“生きるため”だったのに」
「そのうち、“楽になるため”に使い始めた」
「失恋したから売る」
「仕事辛いから売る」
「孤独だから売る」
レンの胸がざわつく。
それはもう、“治療”じゃない。
依存だ。
アカネは苦しそうに笑った。
「で、気づいた時には」
「この街そのものが、感情麻痺してた」
その言葉で。
レンは、あの街の空気を思い出す。
どこか静かすぎる人々。
感情が薄い夜。
痛みから逃げることへ慣れすぎた空気。
その時。
レンが低く聞いた。
「……その女、今どこにいる」
アカネは少し黙る。
そして。
静かに答えた。
「この街のどこかで、まだ生きてるって噂」
その瞬間。
店の照明が、ふっと一瞬だけ揺れた。
読んでいただきありがとうございます!
ついに“感情売却システムの起源”へ触れ始めました。
ここから物語は、街の核心へ近づいていきます!




