第七十九話 壊れる前の夜
恋を壊したのは、“愛が足りなかったから”じゃない。
“自分を大事にできなかったから”かもしれない。
クラゲの水槽が、静かに揺れていた。
青い光。
ゆっくり漂う透明な影。
館内には、人の気配がほとんどない。
レンと美月は、水槽の前へ並んで立っていた。
近い。
でも。
少しだけ遠い距離。
その時。
美月がぽつりと呟く。
「……レン、覚えてる?」
レンが顔を向ける。
美月は水槽を見たまま続けた。
「私たち、最後の方ずっと喧嘩してた」
レンの胸が小さく痛む。
断片が蘇る。
眠れない夜。
不安。
依存。
何度も繰り返した言い合い。
“好き”だけでは支えきれなくなっていた日々。
レンは静かに頷く。
「……少し」
美月は小さく笑った。
「レン、すごい苦しそうだった」
その声に責める色はなかった。
ただ。
悲しさだけが残っていた。
美月は続ける。
「私が返信遅いだけで不安になって」
「“嫌われたかも”って何回も言って」
「ずっと、自分を責めてた」
レンは目を伏せる。
覚えている。
完全じゃない。
でも。
あの頃の息苦しさは、身体が覚えていた。
美月は静かに息を吐く。
「最初は、“支えたい”って思ってた」
「でも途中から」
少し声が震える。
「私まで一緒に沈んじゃってた」
レンの胸が、強く痛む。
美月は小さく笑った。
泣きそうな顔で。
「それでも好きだったんだけどね」
その言葉が、あまりにも苦しかった。
好きだった。
でも。
壊れていった。
レンは静かに言う。
「……ごめん」
美月は首を横に振る。
「違うよ」
レンが顔を上げる。
美月はまっすぐレンを見ていた。
「レンだけが悪かったわけじゃない」
「私も、“支えなきゃ”って思いすぎてた」
静かな声。
でも。
その中には、本音があった。
美月は続ける。
「多分、私たち」
少し苦笑する。
「ちゃんと、自分を大事にする方法知らなかったんだと思う」
レンは何も言えなかった。
図星だった。
あの頃の自分は。
“愛されること”だけで、自分を保とうとしていた。
だから。
美月へ全部を預けすぎた。
その時。
美月が小さく呟く。
「レンが記憶消した時」
レンの呼吸が止まる。
美月は、水槽の青い光を見つめたまま続けた。
「正直、すごいショックだった」
「“私との時間、そんなに苦しかったんだ”って思って」
レンの胸が、鋭く痛む。
違う。
そうじゃない。
でも。
当時の自分は、それをちゃんと言葉にできなかった。
レンは震える声で言った。
「……違う」
美月が顔を上げる。
レンは苦しそうに続けた。
「美月との時間、消したかったわけじゃない」
胸がうるさい。
でも。
逃げたくなかった。
「俺」
目を伏せる。
「“壊れてる自分”を消したかったんだと思う」
その瞬間。
美月の目が、静かに揺れた。
読んでいただきありがとうございます!
今回はレンと美月、“壊れた理由”へ真正面から触れました。
次回、二人は“それでもまだ好きなのか”を確かめ始めます!




