第七十五話 忘れたままの恋
人は、“もう終わったと思っていた感情”に、もう一度触れてしまうことがある。
夜が明ける前の時間。
月見坂は、妙に静かだった。
レンは店の屋上にいた。
缶コーヒーを片手に、ぼんやり空を見上げている。
雲が流れていた。
星は見えない。
でも。
少し前より、呼吸はしやすい。
その時。
屋上の扉が開く。
藤堂アカネだった。
珍しくラフな格好。
髪も少し崩れている。
レンは苦笑した。
「寝てないだろ」
アカネも笑う。
「お互い様」
二人は並んでフェンスへ寄りかかった。
静かな夜明け前。
少しだけ冷たい風。
その時。
アカネがぽつりと言った。
「レン、変わったね」
レンは苦笑する。
「最近みんなそれ言う」
アカネは小さく笑った。
「だって本当だもの」
少し間が空く。
そして。
アカネは静かに続けた。
「前は、“失う怖さ”だけで生きてた顔してた」
レンは黙る。
図星だった。
アカネは空を見る。
「でも今は」
少しだけ笑う。
「ちゃんと、人を見てる」
レンは小さく息を吐く。
その言葉が、胸へ静かに刺さった。
確かに。
少し前までの自分は、自分のことで精一杯だった。
失うこと。
愛されないこと。
空っぽになること。
そればかり怖かった。
でも今は。
真奈や。
シロや。
蓮や。
アカネや雪斗を見て。
人は壊れても、生き直せるのかもしれないと思い始めている。
その時。
アカネが静かに聞いた。
「……で?」
レンが顔を向ける。
アカネはニヤッと笑った。
「美月さんのこと、どうするの」
レンの呼吸が止まる。
「急だな……」
アカネは肩をすくめる。
「いや、ずっと急だったよあれは」
レンは缶コーヒーを見つめる。
胸が少し痛い。
美月。
忘れていた恋。
でも。
最近はもう、“忘れていた”では済まなくなってきている。
思い出してしまう。
声も。
笑い方も。
優しさも。
そして。
失った時の痛みも。
レンは小さく呟く。
「……わかんない」
アカネは静かに聞いている。
レンは続けた。
「また好きになってる気もする」
その瞬間。
胸の奥が、強く痛んだ。
レンは苦笑する。
「でも怖い」
「また失うかもしれないし」
「また壊れるかもしれない」
アカネはしばらく黙っていた。
やがて。
静かに言う。
「それでも、人はまた好きになるの」
レンは顔を上げる。
アカネは朝焼けを見ていた。
「壊れるかもしれなくても」
「苦しくても」
「ちゃんと誰かを好きになる方が、綺麗だから」
その言葉は。
どこか、自分自身へ言っているみたいだった。
レンは空を見る。
少しずつ、空が明るくなっていく。
忘れたまま終わったと思っていた恋。
でも。
もしかしたら。
まだ終わっていないのかもしれない。
読んでいただきありがとうございます!
ここから物語は、レンと美月の“止まっていた恋”へ戻っていきます。
次回、美月側が抱えていた“本当の想い”が少しずつ見え始めます!




