第七十二話 救えなかった人
“救いたい”と“愛してる”は、時々とても似た形で人を壊す。
店内には、重たい静けさが流れていた。
珈琲の湯気だけが、ゆっくり揺れている。
レンは、藤堂アカネと榊雪斗を交互に見ていた。
二人とも壊れている。
でも。
壊れ方が少し違った。
アカネは、“感情を閉じ込めて止まった人”。
雪斗は、“壊れたまま動き続けてる人”。
そんな感じがした。
その時。
雪斗が小さく笑った。
「昔さ」
アカネは顔を上げない。
雪斗は静かな声で続ける。
「俺、アカネのこと救える気でいたんだ」
レンは少し目を細める。
雪斗は窓の外を見る。
月見坂のネオン。
雨の跡。
「でも無理だった」
苦笑。
どこか、自嘲みたいな笑い方だった。
「だって俺も壊れてたから」
アカネの指先が、小さく止まる。
雪斗は続けた。
「査定士ってさ」
「人の感情見すぎるんだよ」
「悲しみも」
「後悔も」
「愛情も」
静かな声。
「普通の人間なら、一生で抱えない量を毎日見る」
レンは息を吐く。
少しわかる気がした。
アカネは、人の感情を“読む”だけじゃない。
多分、“感じてしまう”。
だから削られていく。
雪斗は小さく笑う。
「最初は楽しかったんだけどな」
「人の心、綺麗だと思ってた」
その言葉で。
レンは少し驚く。
雪斗は続けた。
「でも、見すぎた」
「人間って、思ったより脆い」
「簡単に壊れるし」
「簡単に人を傷つける」
少しだけ間が空く。
「だからそのうち、自分の感情まで信用できなくなった」
アカネが小さく目を閉じる。
その反応だけで。
同じ道を歩いてきたのがわかった。
雪斗は静かにアカネを見る。
「でも、お前は俺より酷かった」
レンが顔を向ける。
雪斗は苦しそうに笑った。
「アカネ、人を見捨てられないから」
その瞬間。
レンの胸へ、妙に腑に落ちる感覚が走った。
だからアカネは。
あんなに人の話を聞く。
否定しない。
壊れそうな人間を、放っておけない。
雪斗は続けた。
「お前、昔からずっとそうだった」
「人の痛み、自分のことみたいに抱える」
「だから」
少し声が掠れる。
「壊れてくの見てられなかった」
店内が静かになる。
レンは気づく。
この男。
まだアカネを救いたいと思ってる。
ずっと。
壊れたまま。
その時。
アカネがぽつりと呟いた。
「……じゃあなんで、いなくなったの」
レンは目を見開く。
雪斗が固まった。
初めてだった。
アカネが、感情をぶつけるみたいに喋ったのは。
アカネは視線を落としたまま続ける。
「救いたいとか言って」
「結局、雪斗も消えた」
その声は静かだった。
でも。
ずっと閉じ込めていた痛みが滲んでいた。
雪斗は何も言えない。
ただ。
苦しそうに目を伏せる。
そして。
掠れた声で呟いた。
「……お前を好きだったからだよ」
その瞬間。
店の空気が、静かに止まった。
読んでいただきありがとうございます!
ついに雪斗の感情が溢れ始めました。
次回、アカネと雪斗――止まっていた感情が真正面からぶつかります!




