第六十六話 それでも隣にいたい
本当に欲しかったのは、“完璧に治ること”じゃなく、“それでも隣にいてくれる人”なのかもしれない。
「そんなの、余計忘れられないじゃん……」
シロの涙声が、静かな部屋へ滲んでいく。
海風が、薄いカーテンを揺らしていた。
朝比奈蓮は、何も言えなかった。
感情の薄い目。
でも。
その奥で、確かに何かが揺れている。
シロは涙を拭う。
ぐしゃぐしゃの顔。
それでも、視線だけは逸らさなかった。
「私」
震える声。
「ずっと、自分が嫌われたんだと思ってた」
蓮の指先が小さく動く。
シロは続けた。
「だから苦しくて」
「だから忘れたくて」
「いっぱい感情売った」
涙が落ちる。
「でも」
シロは泣きながら笑った。
「そんな理由、反則じゃん……」
蓮は静かに目を伏せる。
きっと。
自分でも、正しい選択だったとは思っていない。
ただ。
あの時は、それしかできなかった。
レンは壁際で、その二人を静かに見ていた。
不器用だと思う。
でも。
人間の愛なんて、多分みんな不器用だ。
その時。
シロがゆっくり蓮へ近づく。
蓮は少しだけ身体を強張らせた。
怖がっている。
多分。
今でも。
“誰かを壊す自分”を。
シロはそんな蓮の前へ座り込む。
目線を合わせる。
そして。
小さく笑った。
「ねえ蓮」
蓮は静かにシロを見る。
シロは涙声のまま続けた。
「私、別に完璧な蓮が好きだったわけじゃないよ」
蓮の目が、少し揺れる。
シロは言う。
「無理して笑うとこも」
「すぐ一人で抱え込むとこも」
「不器用なとこも」
少し泣きそうに笑う。
「ちゃんと、全部好きだった」
部屋が静まり返る。
蓮は何も言えなかった。
ただ。
呼吸だけが少し乱れている。
シロは続けた。
「だから」
小さく息を吸う。
「壊れてても、いい」
蓮の呼吸が止まる。
シロは涙を流しながら、真っ直ぐ言った。
「感情なくなってても」
「前みたいに笑えなくても」
「それでも、私は」
声が震える。
でも。
逃げなかった。
「蓮の隣にいたい」
その瞬間。
蓮の中で、何かが大きく揺れた。
胸の奥。
ずっと空っぽだった場所。
そこへ。
熱みたいな感覚が、微かに戻ってくる。
苦しい。
痛い。
でも。
嫌じゃない。
蓮は、自分の胸を押さえる。
そして。
震える声で呟いた。
「……なんで」
シロが涙を拭いながら笑う。
「好きだからでしょ」
その言葉で。
蓮の目から、ゆっくり涙が零れ落ちた。
多分。
感情を失ってから、初めて流した涙だった。
読んでいただきありがとうございます!
ついに蓮の中で、“涙”が戻りました。
次回、感情を失った二人が“新しく生き直す”選択を始めます!




