第五十四話 空っぽになった理由
感情は、“悪いものだけ”切り離せるほど都合よくできていない。
「……最後に残ってる、“寂しさ”を」
雨宮シロの言葉が、静かに店内へ落ちる。
レンは何も言えなかった。
寂しさ。
それは、多分、人が最後まで手放せない感情だ。
誰かを求める気持ち。
孤独を怖がる心。
それすら消えたら。
人は、本当に“透明”になってしまう気がした。
アカネは静かにシロを見ている。
その目は珍しく、少しだけ厳しかった。
「消したら、多分戻れないわよ」
シロは小さく笑う。
「もう十分、戻れてないです」
レンの胸がざわつく。
シロは窓の外を見る。
雨粒がガラスを伝っていた。
「昔は、ちゃんと泣けてたんです」
静かな声。
「失恋したら泣いて」
「友達と笑って」
「好きな映画見て泣いて」
少しだけ間が空く。
「でも、そういうの全部、疲れちゃった」
レンは静かに聞いていた。
シロは続ける。
「高校の時、すごく好きだった人がいたんです」
その瞬間。
アカネの目が、少しだけ揺れた。
シロは気づかないまま話す。
「でも、その人、急にいなくなった」
「連絡も返ってこなくなって」
「理由もわからなくて」
シロは淡々としている。
でも。
その平坦さが逆に痛々しかった。
「苦しくて、眠れなくて」
「ご飯も食べられなくて」
「だから最初に、“恋愛感情”を売ったんです」
レンは目を伏せる。
昔の自分を思い出した。
失恋。
喪失。
逃げたくなる痛み。
シロは小さく笑う。
「そしたら、すごく楽で」
「だから次は“不安”を売った」
「次は“怒り”」
「次は“悲しみ”」
静かな声。
まるで。
薬に依存していく人間みたいだった。
「そのうち、何も感じない方が楽になって」
シロはカップへ視線を落とす。
「気づいたら、“嬉しい”もなくなってました」
店内に沈黙が落ちる。
レンは胸が苦しかった。
“苦しみだけを消す”。
そんな都合のいいことは、多分できない。
感情は全部、繋がっている。
悲しみを削れば。
喜びも削れる。
寂しさを消せば。
誰かを求める気持ちまで消えていく。
その時。
アカネが静かに聞く。
「その人のこと、今でも覚えてる?」
シロは少しだけ考える。
そして。
小さく首を横に振った。
「顔、思い出せないです」
レンは息を呑む。
シロは静かに続ける。
「でも」
少しだけ間が空く。
「“すごく好きだった”って感覚だけ、残ってる」
その言葉で。
レンの胸が、強く痛んだ。
美月を忘れた自分と、重なる。
記憶が消えても。
感情の残骸だけは、心の奥に残り続ける。
その時。
シロがぽつりと呟く。
「だから、もう全部消したいんです」
「中途半端に残ってるから、苦しい」
その声は。
静かすぎて、逆に壊れそうだった。
読んでいただきありがとうございます!
今回は“感情売却の依存性”に踏み込みました。
次回、レンはシロの中に“過去の自分”を見始めます!




