第五十三話 感情を売りすぎた少女
人は、“苦しみ”だけを消し続けると、最後に“喜び”まで失ってしまう。
「この街で、一番たくさん感情を売った子よ」
アカネの言葉に。
レンは思わず、雨宮シロを見つめた。
白い傘。
薄い色の唇。
静かな目。
綺麗な人だった。
でも。
どこか、“輪郭が薄い”。
存在そのものが、少し透明だった。
シロは視線を逸らした。
「……そんな大したことじゃないです」
小さな声。
感情の起伏がほとんどない。
レンは胸がざわついた。
まるで。
“人間らしさ”だけが静かに削れていったみたいだった。
アカネは静かに店の扉を開ける。
「入る?」
シロは少し迷ったあと、小さく頷いた。
三人は店内へ入る。
珈琲の香り。
静かな照明。
いつもの空間。
でも今日は、空気が少し違った。
シロが座るだけで、店全体が妙に静かになる。
アカネが珈琲を置く。
シロは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
その声は丁寧だった。
でも。
“嬉しそう”ではない。
レンは思わず聞く。
「……そんなに売ったのか?」
シロは少し考えるように目を伏せた。
「覚えてないです」
レンは眉をひそめる。
シロは静かに続ける。
「悲しいのが嫌で」
「苦しいのが嫌で」
「恋愛感情とか」
「怒りとか」
「不安とか」
淡々と話す。
まるで、他人事みたいに。
「その時いらないと思ったもの、全部」
レンの胸が少し冷える。
全部。
その言葉の重さが、妙にリアルだった。
シロはカップへ視線を落とす。
「最初は楽になったんです」
「失恋しても平気で」
「嫌なことあっても平気で」
少しだけ笑う。
でも。
その笑顔には温度がなかった。
「でも、だんだん」
シロは静かに言った。
「嬉しいも、わからなくなりました」
店内が静まる。
レンは言葉を失った。
シロは続ける。
「ご飯食べても、美味しいかわからない」
「景色見ても、綺麗かわからない」
「誰かに優しくされても、嬉しいかわからない」
雨の音だけが、遠くで響いていた。
シロはぽつりと呟く。
「最近、自分が生きてる感じもしないんです」
その声は。
悲しいはずなのに。
悲しさすら薄れていた。
レンは胸が苦しくなる。
少し前の自分も、“空っぽ”だった。
でも。
シロはその先へ行ってしまっている。
空っぽに慣れすぎて。
苦しいことすら感じにくくなっている。
その時。
アカネが静かに聞いた。
「今日は何を売りに来たの?」
シロは少し黙った。
そして。
小さく答える。
「……最後に残ってる、“寂しさ”を」
レンの呼吸が止まる。
シロは静かに笑った。
「これ消えたら、きっと楽だから」
その笑顔が。
どうしようもなく、危うかった。
読んでいただきありがとうございます!
シロ編、本格スタートです。
次回、“感情を失いすぎた少女”の過去が少しずつ明かされます!




