第五十二話 透明な彼女
感情を消し続けた人間は、最後に“自分自身”まで透明になっていく。
昼過ぎ。
透明都市には、淡い雨が降っていた。
レンは会社帰りに、月見坂を歩いていた。
最近、自然とこの道へ来てしまう。
黒い店。
藤堂アカネ。
あそこだけが、不思議と呼吸しやすかった。
レンは小さく息を吐く。
その時だった。
路地の角で、誰かと肩がぶつかる。
「あっ」
小さな声。
レンは反射的に振り返った。
白い傘。
長い黒髪。
細い身体。
少女のようにも見えるし、大人にも見える。
不思議な雰囲気の女だった。
女は慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい……!」
声が小さい。
まるで、“存在ごと遠慮してる”みたいな喋り方だった。
レンは首を横に振る。
「いや、大丈夫」
女はさらに小さくなる。
「ほんとすみません……」
レンは少し困ってしまう。
そこまで謝らなくてもいいのに。
その時。
女の持っていた紙袋から、本が落ちた。
レンは反射的に拾う。
タイトルが目に入る。
【感情喪失症候群について】
レンは眉をひそめた。
感情喪失症候群。
透明都市で時々聞く病気。
“感情売却”を繰り返した人間が、感情を感じにくくなる症状。
レンが本を返すと。
女は少し焦ったように受け取った。
「あ、ありがとうございます……!」
その時。
レンは気づく。
この女。
妙に“感情の気配”が薄い。
笑っているのに。
どこか透明だった。
その時だった。
背後から、鈴の音。
黒い店の扉が開く。
藤堂アカネが、こちらを見ていた。
そして。
珍しく少し驚いた顔をする。
「……あら」
女がビクリと肩を震わせる。
アカネは静かに言った。
「久しぶりね、雨宮シロ」
レンは目を瞬かせる。
女――シロは、小さく頭を下げた。
「……お久しぶりです」
声が弱い。
今にも消えそうな声。
アカネは静かにシロを見る。
その目は、いつもの余裕と少し違っていた。
まるで。
“壊れかけのもの”を見る目だった。
レンは小声で聞く。
「知り合いか?」
アカネは少し黙る。
そして。
静かに答えた。
「この街で、一番たくさん感情を売った子よ」
レンの呼吸が止まる。
雨の音だけが、静かに響いていた。
読んでいただきありがとうございます!
新章スタートです。
次は“感情を失いすぎた少女”――雨宮シロ編へ入っていきます!




