第五十話 空白の先へ
人は、“失ったあと”にしか始められない人生を持っている。
朝焼けが、透明都市を薄く染めていた。
月見坂の路地は静かだった。
夜のネオンが消え始め。
代わりに、白い朝の光が街を包んでいく。
レンは店の外へ出て、小さく息を吐いた。
冷たい朝の空気。
眠っていない身体には少し痛い。
でも。
嫌な感じじゃなかった。
少し前の自分なら。
きっと、この時間が一番苦しかった。
朝が来るたび。
空っぽの現実を思い出していたから。
でも今は。
胸の奥に残る痛みが、少しだけ違っていた。
失ったものは戻らない。
美月との時間も。
あの頃の自分も。
もう戻らない。
でも。
だから終わり、という感じでもなかった。
その時。
店の扉が静かに開く。
真奈だった。
子供を抱いている。
顔はまだ疲れている。
でも。
昨日より少しだけ、“生きている顔”だった。
真奈は小さく頭を下げる。
「ありがとうございました」
レンは少し照れくさくなる。
「……俺、何もしてないです」
真奈は静かに首を横に振った。
「そんなことないです」
子供が眠そうにレンを見る。
そして、小さく手を振った。
レンは思わず笑ってしまう。
真奈も少し笑った。
その笑顔は、昨日より自然だった。
完璧じゃない。
問題も消えていない。
でも。
“今日を生きようとしてる顔”だった。
真奈はぽつりと言う。
「ちゃんと休んでみます」
「一人の時間も、作ってみます」
少しだけ不安そうに笑う。
「できるかわかんないけど」
レンは静かに頷いた。
「できなくても、いいと思います」
真奈は少し驚いた顔をする。
レンは苦笑した。
「俺、完璧にやろうとして、全部壊したんで」
その言葉に。
真奈が少しだけ吹き出す。
「それ、説得力ありますね」
レンも笑った。
その瞬間。
自分が少しだけ、“前の自分”と違うことに気づく。
昔なら。
こんなふうに誰かと笑う余裕なんてなかった。
真奈は最後にもう一度頭を下げる。
そして。
朝の街へ歩いていく。
小さな子供を抱きながら。
完璧じゃない母親として。
でも。
ちゃんと、生きる人間として。
レンはその背中を静かに見送った。
その時。
後ろから声がする。
「顔、変わったね」
振り返る。
藤堂アカネが、店の入り口に立っていた。
レンは苦笑する。
「最近そればっか言うな」
アカネは少し笑った。
「だって本当だもの」
レンは朝焼けの街を見る。
空っぽだった。
今でも、多分、完全には埋まっていない。
でも。
その空白ごと、生きていける気がした。
その時。
スマートフォンが小さく震える。
通知。
送り主を見た瞬間。
レンの呼吸が少し止まった。
【美月】
短いメッセージ。
【ちゃんと眠れてる?】
レンは、思わず小さく笑った。
読んでいただきありがとうございます!
第五十話です。
ここからレンは、“喪失を抱えたまま生きる”新しい段階へ進み始めます!




