第四十七話 壊れる前に
人は、“壊れそう”と言えた瞬間に、少しだけ救われ始めることがある。
「……疲れた……っ」
真奈の泣き声が、静かな店内へ響いていた。
子供を抱きしめたまま。
肩を震わせながら、泣いている。
レンは、その姿から目を離せなかった。
苦しそうだった。
でも同時に。
少しだけ、“人間に戻った顔”にも見えた。
今まではきっと。
泣くことすら許していなかったのだ。
母親だから。
ちゃんとしなきゃいけないから。
強くいなきゃいけないから。
その時。
腕の中の子供が、小さな声を出した。
「……まま?」
眠そうな目で、真奈を見上げる。
真奈は慌てて涙を拭った。
「ごめんね」
笑おうとする。
でも。
うまく笑えない。
その姿を見て。
レンの胸が、静かに痛んだ。
昔の自分みたいだった。
壊れそうなのに。
大丈夫なふりをして。
誰にも弱さを見せられなかった頃。
レンは静かに口を開く。
「……俺」
真奈とアカネが顔を上げる。
レンは少し迷いながら続けた。
「昔、恋人に依存してたんです」
真奈は静かに聞いている。
レンは苦笑した。
「その人がいないと、自分が空っぽになる気がして」
「だから、ずっと縋ってた」
美月の顔が頭をよぎる。
泣いていた顔。
優しく笑っていた顔。
レンはゆっくり言った。
「でも結局、壊れたのは」
「“愛し方”じゃなくて」
「自分を追い詰めてたことだった気がする」
真奈の目が、少し揺れる。
レンは静かに続けた。
「真奈さん、ちゃんと愛してると思います」
眠る子供を見る。
小さな頭を撫でる真奈の手は、優しかった。
演技じゃない。
ちゃんと愛情がある手だった。
レンは言う。
「でも、“苦しい”って言っちゃ駄目だと思ってるから」
「余計に壊れそうになってるんじゃないですか」
真奈は唇を噛む。
そして。
小さく呟いた。
「……誰も言ってくれなかった」
涙がまた落ちる。
「苦しくていいなんて」
レンは何も言えなかった。
その時。
アカネが静かに珈琲を置く。
真奈の前へ。
湯気が、ゆっくり揺れる。
アカネは穏やかに言った。
「感情ってね」
真奈が顔を上げる。
「“消したい”と思う時は、だいたい限界なの」
店内は静かだった。
アカネは続ける。
「だから本当は、“消す”より先に」
少しだけ笑う。
「休まなきゃいけない」
真奈は、その言葉を聞いた瞬間。
また静かに泣き始めた。
今度は。
少しだけ、安心したみたいに。
読んでいただきありがとうございます!
今回はレンが“過去を使って誰かを救う側”になり始めた回でした。
次回、真奈が“母親”ではなく“自分自身”を取り戻そうとします!




