第四十話 それでも好きだった
本当に愛した相手には、“忘れられる優しさ”を願ってしまうことがある。
『今でも、私のこと好きだった?』
美月の言葉が、静かに胸へ落ちる。
レンはすぐに答えられなかった。
バー《海月》の青い照明。
静かなジャズ。
グラスの中で氷が溶ける音だけが、妙に大きく聞こえる。
好き。
その感情は、もうずっと前に壊れたと思っていた。
だから記憶を売った。
苦しくて。
耐えられなくて。
忘れたかった。
でも。
忘れたあとも。
胸の奥には、ずっと何かが残っていた。
空っぽの感覚。
喪失感。
理由もわからないまま、ずっと苦しかった。
レンはゆっくり顔を上げる。
美月は、静かに自分を見ていた。
怖かった。
その目に答えるのが。
でも。
逃げたくなかった。
もう。
今度こそ。
「……好きだったと思う」
レンは静かに言った。
美月の呼吸が、少し止まる。
レンは続ける。
「記憶なくても」
「会った瞬間、苦しかった」
「懐かしくて」
「会いたくて」
「意味わかんなかったけど」
レンは苦笑する。
「身体だけが覚えてた」
美月は何も言わない。
ただ。
目が少し潤んでいた。
レンは静かに言葉を探す。
「多分俺」
胸が痛い。
でも。
今は、その痛みから逃げたくなかった。
「美月を忘れたかったんじゃなくて」
レンは目を伏せる。
「失った自分を見たくなかったんだと思う」
美月の指先が、小さく震えた。
レンは続ける。
「美月がいなくなったら、俺ほんと空っぽで」
「だから怖くて」
「全部消した」
静かな声だった。
言い訳じゃない。
ただ。
本当のことだった。
その時。
美月が小さく笑う。
涙を堪えるみたいに。
「……そっか」
レンは顔を上げる。
美月は少し泣きそうな顔で言った。
「レンらしい」
その言葉が、胸へ深く刺さる。
“レンらしい”。
それはきっと。
昔の自分を知っている人間にしか言えない言葉だった。
美月は静かにグラスへ視線を落とす。
そして。
ぽつりと呟く。
「私ね」
レンは黙って聞く。
美月は小さく笑った。
「忘れられた時、ちょっとだけ安心したの」
レンの胸がざわつく。
「なんで」
美月は静かに答えた。
「これでレン、楽になれるのかなって思ったから」
その優しさが。
どうしようもなく、苦しかった。
読んでいただきありがとうございます!
レンがついに、自分の感情を言葉にしました。
次回、二人は“もしも”の話を始めます!




