第三十八話 君の知らない記憶
恋が終わっても、“好きだった部分”だけは消えずに残ることがある。
「……ほんとに忘れちゃったんだね」
美月の声は静かだった。
責めるような声じゃない。
でも。
その奥にある寂しさだけは、痛いほど伝わってきた。
レンはグラスへ視線を落とす。
氷が、小さく音を立てた。
「……ごめん」
また謝っていた。
美月は少し笑う。
「レン、すぐ謝るよね」
その言い方が、妙に自然だった。
きっと昔から、自分はこうだったのだろう。
レンは低く聞く。
「俺、どんなだった」
美月は少し考えるように目を細める。
そして。
小さく笑った。
「面倒くさかった」
レンは苦笑する。
「ひどいな」
「ほんとだよ」
美月はグラスを指で回しながら続ける。
「すぐ不安になるし」
「すぐネガティブになるし」
「仕事で落ち込むと、急に黙るし」
レンは思わず笑ってしまった。
なぜかわからない。
でも。
その会話が妙に心地よかった。
まるで。
ずっと前から知っている人と話しているみたいに。
美月も少し笑う。
その笑顔を見た瞬間。
レンの胸が強く痛んだ。
愛しい。
思い出せない記憶より先に、感情だけが溢れてくる。
その時。
美月がぽつりと言った。
「でも、優しかったよ」
レンは顔を上げる。
美月は遠くを見るような目で続ける。
「コンビニで、私が好きなお菓子覚えてたり」
「寒いとすぐ手握ってきたり」
「終電なくなると、絶対送ってくれたり」
そのひとつひとつが。
レンの頭の奥で、小さく光る。
夜道。
繋いだ手。
笑い声。
“幸せだった記憶”だけが、ゆっくり戻ってくる。
レンは掠れた声で聞いた。
「……じゃあ、なんで別れたんだ」
美月の表情が、少しだけ曇る。
店内に静かなジャズが流れていた。
美月はしばらく黙ったあと、小さく言う。
「好きだけじゃ、続かない時があるから」
レンは言葉を失う。
美月は続けた。
「レン、優しかった」
「でも、自分を愛せてなかった」
胸がざわつく。
美月はレンを見る。
「だから、私がいなくなったら全部終わるみたいな顔してた」
レンは目を閉じた。
図星だった。
きっと自分は。
美月を愛していたというより。
“美月がいる自分”に縋っていた。
その時。
美月が小さく笑う。
「でもね」
レンは顔を上げる。
美月は少しだけ泣きそうな顔で言った。
「私、あの頃のレン、嫌いじゃなかったよ」
その言葉だけで。
レンの胸が、壊れそうになる。
読んでいただきありがとうございます!
今回は“美月が見ていたレン”が描かれました。
次回、二人が別れた本当の理由へさらに近づいていきます!




