第三十七話 海月
再会は、恋を終わらせるためにある時もあれば、終われなかったことを知るためにある時もある。
翌日の夜。
レンは、バー《海月》の前に立っていた。
細い路地。
青いネオン。
雨上がりの匂い。
扉の横には、小さなクラゲの看板が揺れている。
レンは深く息を吐いた。
帰ろうと思えば、まだ帰れた。
ここへ入らなければ。
美月とはもう交わらない。
それもきっと、正しい。
でも。
足は動かなかった。
レンは静かに扉を開ける。
鈴の音。
暗めの照明。
静かなジャズ。
店内には、数人しか客がいなかった。
レンはゆっくり周囲を見る。
その瞬間。
カウンター席に座る女性が、こちらを振り向いた。
時間が止まる。
美月だった。
白いニット。
長い髪。
少しだけ驚いた顔。
そして。
どこか泣きそうな目。
レンの胸が強く脈打つ。
思い出せないはずなのに。
“知っている人”だと、身体だけが理解していた。
美月も動けなかった。
ただ。
レンを見つめている。
静かに。
どうしようもなく。
懐かしそうに。
やがて。
美月が小さく笑った。
「……ほんとに来るんだ」
その声だけで。
レンの胸が痛くなる。
レンはゆっくり近づいた。
カウンター席へ座る。
近い。
近いのに。
妙に遠かった。
美月はグラスを見つめながら、小さく言う。
「久しぶり」
レンは少し迷ってから答えた。
「……多分」
美月が笑う。
その笑い方が、やけに愛しかった。
レンは胸を押さえる。
苦しい。
でも。
会えてよかったと思ってしまう。
その時。
店員が静かに水を置いた。
美月はそれを見ながら言う。
「レン、水飲む時いつも一気だったよね」
レンは眉をひそめる。
「……そうなのか」
「うん」
美月は少し笑う。
「猫舌なのに熱いコーヒー頼むし」
頭の奥で、断片が揺れる。
『熱っ』
笑い声。
『だから言ったじゃん』
レンは目を閉じた。
小さな記憶。
でも。
胸が壊れそうになるくらい愛しかった。
美月は静かにレンを見る。
その目には、たくさんの感情が混ざっていた。
懐かしさ。
寂しさ。
愛情。
後悔。
そして。
まだ少し、好きだった目。
レンは視線を逸らせなかった。
その時。
美月がぽつりと呟く。
「……ほんとに忘れちゃったんだね」
その声だけが。
やけに痛かった。
読んでいただきありがとうございます!
ついにレンと美月が再会しました。
次回、“忘れられた恋”が再び動き始めます!




