第二十六話 残されたもの
本当に失ったものは、“思い出せない”という形で人を苦しめ続ける。
透明な結晶へ触れた瞬間。
『レンってさ、お金ないくせに幸せそうだよね』
女の笑い声が、頭の中へ流れ込んできた。
レンは思わず息を呑む。
知らない声。
知らないはずなのに。
胸だけが、壊れそうに痛む。
春の夜。
安い居酒屋。
缶チューハイ。
笑っている女。
でも顔だけが、どうしても見えない。
「……誰だ」
レンは掠れた声で呟く。
結晶は、もう光っていなかった。
代わりに。
胸の奥だけが、妙に熱い。
その時。
スマートフォンが震える。
会社からの着信だった。
レンはぼんやり通話を取る。
「真壁? 今日来ないのか?」
上司の声。
レンは時計を見る。
始業時間を過ぎていた。
「あ……すみません」
「大丈夫か? 声変だぞ」
レンは少し黙る。
大丈夫じゃない。
でも、何が大丈夫じゃないのかがわからない。
「……寝不足です」
それだけ答えて電話を切った。
レンはゆっくり部屋を見回す。
静かだった。
生活の痕跡だけがある。
なのに。
“誰かがいた感覚”だけが、妙に残っている。
その時。
キッチンの棚に、マグカップが二つ並んでいることに気づいた。
レンは眉をひそめる。
「……なんで二つ」
記憶がない。
でも。
ひとつじゃなかった気がする。
その瞬間。
胸の奥に、強い喪失感が走った。
苦しい。
何を失った。
誰を失った。
思い出せない。
なのに。
涙だけが、また勝手に溢れてくる。
レンは苛立ったように顔を覆った。
「なんなんだよ……」
その時。
スマートフォンに、一件の通知が届く。
【おすすめユーザー】
SNSの通知だった。
何気なく開く。
そこには。
見知らぬ女のアカウントが表示されていた。
プロフィール画像。
笑っている女性。
レンの呼吸が止まる。
知らない。
知らないはずなのに。
胸が、異常なくらい痛む。
指が勝手に震えていた。
アカウント名。
【mizuki_27】
レンは、その名前を見つめる。
頭の奥で、何かが引っかかる。
でも。
届かない。
思い出せない。
なのに。
涙だけが、止まらなかった。
読んでいただきありがとうございます!
“空白の朝”のあと、レンの中で少しずつ感情が動き始めました。
次回、失った記憶が再びレンを引き寄せていきます!




