第二十三話 透明になっていく
人は、本当に壊れた時、“忘れる”ことを救いだと思ってしまう。
踏切の警報音だけが、いつまでも耳に残っていた。
レンは、その場から動けなかった。
冷たい風。
遠ざかる電車の音。
そして。
もう戻ってこない背中。
美月は振り返らなかった。
それが、終わりだった。
レンはゆっくり空を見上げる。
涙が止まらなかった。
みっともないくらい。
呼吸も苦しい。
胸の奥に、大きな穴が開いていた。
その時、スマートフォンが震えた。
通知。
【美月】
レンの指が震える。
開く。
短いメッセージだった。
【ごめんね】
それだけ。
たったそれだけで。
レンの中で、何かが完全に壊れた。
「……っ」
呼吸がうまくできない。
視界が滲む。
苦しい。
苦しい。
苦しい。
レンはその場へしゃがみ込んだ。
誰かが通り過ぎていく。
でも誰も、自分を見ていない。
世界だけが、普通に動いている。
なのに。
自分の世界だけが終わった。
その夜。
レンは気づけば、月見坂を歩いていた。
冷たい雨が降っている。
黒い店。
【記憶・感情・後悔 査定いたします】
レンはしばらく看板を見上げていた。
そして。
扉を開けた。
鈴の音。
静かな店内。
黒いコートの男が、奥から現れる。
「いらっしゃいませ」
レンは何も言えなかった。
喉が詰まっている。
男は静かにレンを見る。
その目は、慣れていた。
こういう人間を、何度も見てきた目だった。
「……売りたいんですか」
レンはゆっくり頷く。
男は聞く。
「何を」
レンは答えられなかった。
何を?
愛?
美月?
痛み?
思い出?
わからない。
でも。
ひとつだけ、はっきりしていた。
このままでは、生きていけない。
レンは震える声で言った。
「……全部」
男は少し黙る。
そして静かに答えた。
「全部は消えません」
レンは顔を上げる。
男は淡々と続ける。
「強い感情ほど、残滓として残ります」
レンは笑った。
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま。
「じゃあ」
掠れた声。
「少しでも、楽になれるなら」
その時だった。
店のガラスへ、自分の姿が映る。
ひどい顔だった。
空っぽだった。
まるで。
人間が少しずつ透明になっていくみたいだった。
読んでいただきありがとうございます!
ついにレンが“記憶を売る夜”へ辿り着きました。
次回、愛を手放す瞬間が描かれます!




