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透明都市アーカイブ―愛を売った男たち―  作者: 秀人


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第十九話 君の名前

名前は、記憶より深い場所に残る。

本当に愛した人の名前だけは、時々、心が勝手に覚えている。

 『来年の今夜には、忘れられますか』


 


 その言葉が、レンの胸に残り続けていた。


 


 


 忘れたかった。


 


 


 でも。


 


 


 本当は、忘れたくなかった。


 


 


 だから苦しかった。


 


 


 愛したまま、終わってしまったから。


 


 


 レンは床へ座り込んだまま、静かに呼吸を整えていた。


 


 


 高層階の窓の向こうで、夜景が滲んでいる。


 


 


 アカネはそんなレンを見つめながら、小さく呟いた。


 


 


 「人ってね」


 


 


 「終わった恋ほど、美化するの」


 


 


 レンは顔を上げる。


 


 


 アカネは金色の結晶を見つめていた。


 


 


 「叶わなかったから」


 


 「失ったから」


 


 「取り戻せないから」


 


 


 彼女は静かに笑う。


 


 


 「永遠になる」


 


 


 レンは何も言えなかった。


 


 


 違う、と否定したかった。


 


 


 でも。


 


 


 否定しきれない自分もいた。


 


 


 もし彼女と結婚していたら。


 


 


 もし別れていなかったら。


 


 


 この感情は、ここまで綺麗なものとして残っていただろうか。


 


 


 その時。


 


 


 アカネが小さな箱を持ってきた。


 


 


 黒い箱。


 


 


 ゆっくり開かれる。


 


 


 中には、一枚の紙が入っていた。


 


 


 レンは眉をひそめる。


 


 


 「……なんだ、これ」


 


 


 アカネは静かに答える。


 


 


 「売却時の記録」


 


 


 レンの呼吸が少し止まる。


 


 


 そこには、自分の筆跡でサインが書かれていた。


 


 


 間違いなく、自分の字だった。


 


 


 その下。


 


 


 売却対象。


 


 


 【対象記憶:恋愛記憶一式】


 


 


 レンは唇を噛む。


 


 


 そのさらに下。


 


 


 【対象人物名】


 


 


 そこだけが、黒く塗り潰されていた。


 


 


 レンの胸がざわつく。


 


 


 「……なんで隠す」


 


 


 アカネは少しだけ目を伏せた。


 


 


 「あなたが望んだから」


 


 


 「俺が?」


 


 


 「ええ」


 


 


 アカネは静かに続ける。


 


 


 「“名前だけは二度と思い出せないようにしてくれ”って」


 


 


 レンは言葉を失った。


 


 


 そこまで。


 


 


 そこまでしないと耐えられなかったのか。


 


 


 アカネは小さく言う。


 


 


 「でも、人間って不思議」


 


 


 彼女はレンを見る。


 


 


 「名前を失っても、感情は残る」


 


 


 その瞬間。


 


 


 レンの脳裏で、何かが弾けた。


 


 


 海。


 


 


 夏。


 


 


 強い風。


 


 


 女が笑っている。


 


 


 『レン、こっち!』


 


 


 その声が、あまりにも眩しい。


 


 


 胸が痛い。


 


 


 苦しい。


 


 


 でも。


 


 


 会いたい。


 


 


 会いたい。


 


 


 どうしようもなく。


 


 


 その時。


 


 


 女が振り返る。


 


 


 そして。


 


 


 初めて。


 


 


 声だけじゃなく、“名前”が流れ込んできた。


 


 


 『――美月』


 


 


 レンの呼吸が止まる。


 


 


 胸の奥で、何かが崩れる。


 


 


 同時に。


 


 


 猛烈な感情が溢れ出した。


 


 


 愛しい。


 


 


 会いたい。


 


 


 苦しい。


 


 


 忘れたくない。


 


 


 レンはその場で崩れ落ちた。


 


 


 「……美月」


 


 


 初めて口にした名前。


 


 


 それだけで、涙が止まらなくなった。

読んでいただきありがとうございます!


ついに“彼女の名前”が戻りました。

次回、レンは美月との過去をさらに思い出していきます!

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