第百四十一話 朝焼けの選択
“どうするべきか”より先に、“自分はどうしたいのか”。
感情を取り戻した人間は、最後にその問いと向き合わなければいけない。
夜が、ゆっくり明け始めていた。
雪は止んでいる。
窓の外には、薄い朝焼け。
白く染まった透明都市が、静かに光を受け始めていた。
美月は、一睡もできないまま窓際へ座っている。
旦那は、ソファで静かに目を閉じていた。
眠っているのか。
ただ目を閉じているだけなのか。
もう、美月には分からなかった。
胸が痛い。
でも。
不思議と、“逃げたい”とは思わなかった。
それが今までと違っていた。
昔なら。
苦しい感情から、すぐ逃げようとしていた。
見ないふりをして。
何も感じないふりをして。
でも今は。
ちゃんと痛みがある。
ちゃんと、人を大切に思っている。
だから。
苦しい。
その時。
後ろから、小さな声。
「……起きてたんだ」
旦那だった。
美月は振り返る。
旦那は、少し疲れた顔で笑った。
でも。
その笑顔は、昨日より少しだけ穏やかだった。
旦那は、キッチンへ向かう。
そして。
コーヒーを二つ淹れ始めた。
その後ろ姿を見ているだけで、美月は泣きそうになる。
やがて。
旦那が、マグカップを一つ差し出した。
「はい」
美月は、小さく受け取る。
温かい。
その温度が、胸へ染みる。
少し沈黙。
朝焼けだけが、静かに広がっていく。
その時。
旦那が、ぽつりと言った。
「……昨日さ」
美月が顔を向ける。
旦那はコーヒーを見つめながら続けた。
「正直、最初は」
少し苦笑する。
「“なんで俺じゃダメなんだろ”って思った」
美月の胸が、静かに痛む。
旦那は続けた。
「でも、多分」
窓の外を見る。
白い街。
「そういう単純な話じゃないんだよね」
その言葉に。
美月は、静かに目を見開いた。
旦那は、少し寂しそうに笑う。
「人の感情って」
「もっと、ぐちゃぐちゃなんだと思う」
その瞬間。
美月の涙が、また静かに零れた。
理解されたかったわけじゃない。
許されたかったわけでもない。
でも。
この人が、“感情を否定せず見ようとしてくれている”ことが苦しかった。
その時。
旦那が、静かに聞く。
「……美月はさ」
美月が顔を上げる。
旦那は、真っ直ぐこちらを見る。
少し赤い目。
でも。
ちゃんと向き合う目だった。
「どうしたい?」
その問いが。
静かに、美月の胸へ落ちる。
“どうするべきか”じゃない。
“どうしたいか”。
それを真正面から聞かれた瞬間。
美月は、初めて気づく。
今までずっと。
誰かを傷つけないことばかり考えていた。
でも。
自分がどう生きたいのかは、ちゃんと見ていなかった。
朝焼けが、部屋を少しずつ照らしていく。
透明都市。
感情を閉じ込めていた街。
でも今は。
人々が、“自分の感情を、自分で選ぶ”世界へ変わり始めていた。
読んでいただきありがとうございます!
今回は、“選択の本当の意味”へ踏み込みました。
この物語は今、“恋愛”を超えて、“どう生きるか”の話へ変わり始めています。




