第百三十六話 静かな朝
“大人になる”ということは、傷つかないことじゃない。
傷つくと分かっていても、自分で選ぶことなのかもしれない。
翌朝。
透明都市は、驚くほど静かだった。
雪は止んでいる。
白い屋根。
凍った歩道。
冬の朝特有の、音を吸い込む空気。
レンは、黒い店のカウンターで珈琲を飲んでいた。
昨夜、美月と電話してからほとんど眠れていない。
でも。
不思議と気持ちは静かだった。
苦しい。
ちゃんと。
でも。
逃げていない感覚があった。
その時。
店の扉が開く。
雪斗だった。
マフラーを外しながら、レンを見る。
そして。
一言。
「顔やば」
レンが顔をしかめる。
「朝一で失礼だな」
雪斗は笑いながら珈琲を淹れる。
少し沈黙。
やがて。
雪斗がぽつりと言った。
「で、決着つきそう?」
レンは、しばらく答えなかった。
窓の外を見る。
白い街。
やがて。
小さく息を吐く。
「……わかんない」
雪斗は頷く。
急かさない。
それが、この店の空気だった。
レンは続ける。
「でも多分」
「どっち選んでも、傷つく人はいる」
胸が少し痛む。
誰かを好きになるって。
本当はもっと単純だと思っていた。
でも現実は。
時間も。
生活も。
優しさも。
全部絡んでくる。
その時。
雪斗が、静かに言った。
「まあでも」
レンが顔を向ける。
雪斗は珈琲を飲みながら続けた。
「“傷つかない選択”って、多分ないよ」
店内が静まる。
雪斗は続けた。
「恋愛だけじゃなくて」
「人生全部そうだけど」
窓の外を見る。
雪の残る街。
「何選んでも、どっかで誰か泣く」
その言葉は。
冷たいようで、妙に優しかった。
綺麗事じゃないから。
その時。
レンのスマホが震える。
画面を見る。
美月からだった。
【今日、ちゃんと話す】
短いメッセージ。
でも。
その文字には、覚悟が滲んでいた。
レンの呼吸が、少しだけ止まる。
“ちゃんと話す”。
それが何を意味しているのか。
考えたくない自分もいた。
でも。
もう、避けられない。
その時。
雪斗がスマホ画面を見て、小さく笑う。
「来たね」
レンは苦笑する。
「……怖え」
雪斗は肩をすくめた。
「そりゃそう」
そして。
少しだけ真面目な顔になる。
「でも、ちゃんと怖がれるなら大丈夫じゃない」
レンは、その言葉を静かに聞いていた。
昔の自分なら。
感情だけで突っ走っていた。
でも今は違う。
怖い。
失うのが。
壊れるのが。
誰かを傷つけるのが。
それでも。
逃げずに向き合おうとしている。
その時。
朝日が、雪の街へ差し込んだ。
透明都市。
感情を失いかけた街。
でも今は。
人々が、“傷つくことを恐れながらも選ぶ”街へ変わり始めていた。
読んでいただきありがとうございます!
今回は、“答えの前の静けさ”を描きました。
次の選択は、多分この物語の大きな転換点になります。




