第百三十二話 帰り道の涙
感情は、いつも綺麗に説明できるわけじゃない。
幸せなのに泣いてしまう夜も、人間にはある。
電車の扉が閉まる。
白い光。
走り出す車両。
レンは、ホームに残ったままその姿を見送っていた。
窓越しに、美月が小さく笑う。
でも。
その笑顔は、どこか泣きそうだった。
やがて。
電車は夜の中へ消えていく。
雪だけが、静かに降っていた。
レンは、深く息を吐く。
胸の奥が苦しい。
でも。
不思議と後悔はなかった。
ちゃんと向き合った。
逃げずに。
綺麗事だけでもなく。
その実感だけが、静かに残っている。
電車の中。
美月は窓へ寄りかかっていた。
流れていく街の灯り。
車内アナウンス。
誰かの笑い声。
全部が、遠く感じる。
レンの言葉が、まだ胸へ残っていた。
“寂しいだけなら止める”。
その言葉が。
苦しいくらい優しかった。
美月は目を閉じる。
もしレンが。
“今すぐ来いよ”と言っていたら。
“旦那より俺を選べよ”と言っていたら。
多分。
もっと簡単に壊れられた。
でもレンは、そうしなかった。
だから余計に。
この感情から逃げられなくなる。
その時。
スマホが震える。
旦那からだった。
【雪すごいね】
【帰り気をつけて】
短いメッセージ。
でも。
そこには確かに、日常の優しさがある。
美月の胸が、静かに痛む。
どっちも本物だった。
レンへの想いも。
旦那との時間も。
だから。
簡単に答えを出せない。
その時。
窓へ、自分の顔が映る。
少し泣きそうな顔。
美月は、その顔をぼんやり見つめる。
そして。
気づけば、涙が零れていた。
静かに。
誰にも見えないように。
泣いている理由は、自分でも全部説明できない。
好きだと言えた幸福。
帰る場所がある罪悪感。
誰も傷つけたくない苦しさ。
全部が混ざっている。
その時。
隣へ座っていた小さな女の子が、美月を見る。
そして。
無邪気に聞いた。
「おねえちゃん、かなしいの?」
美月は、一瞬だけ目を見開く。
そして。
少し困ったように笑った。
「……わかんない」
本当に、わからなかった。
幸せなのに苦しい。
苦しいのに、嬉しい。
人を好きになるって。
本当は、もっと曖昧で、矛盾だらけなのかもしれない。
その時。
女の子の母親が慌てて頭を下げる。
「すみません」
美月は首を横に振った。
「大丈夫です」
そして。
小さく笑う。
「……ありがとう」
女の子は不思議そうな顔をしたあと、また窓の外を見始めた。
雪の降る夜。
電車は、静かに街を走っていく。
感情を取り戻した人間たちは。
今日も、“答えのない想い”を抱えながら生きていた。
読んでいただきありがとうございます!
今回は、美月側の“帰り道”を描いてみました。
感情を取り戻すということは、“矛盾した想い”まで抱えることなのかもしれません。




