第百三十話 幸福と罪悪感
幸せな感情が、必ずしも“正しい”とは限らない。
だから人は、幸福の中で罪悪感を抱えてしまう。
水族館を出ると、雪は少し強くなっていた。
白い雪が、街灯の光へ静かに舞っている。
レンと美月は、並んで駅まで歩いていた。
会話は、ほとんどない。
でも。
沈黙の中に、さっき交わした言葉がまだ残っていた。
“好き”。
たったそれだけ。
なのに。
胸が苦しいほど満たされている。
その感覚が、レンには少し怖かった。
その時。
美月がぽつりと言う。
「……幸せって、なんなんだろうね」
レンが顔を向ける。
美月は雪を見ながら続けた。
「今、すごく嬉しいの」
少し笑う。
でも。
その笑顔は、泣きそうだった。
「でも同時に、めちゃくちゃ罪悪感ある」
雪が静かに積もっていく。
レンは、何も言えなかった。
多分。
それは当然の感情だった。
旦那を裏切っている感覚。
今の日常を揺らしている感覚。
でも。
レンへの想いも、本物。
だから苦しい。
美月は、小さく息を吐く。
「レンといるとさ」
「ちゃんと感情動くんだよね」
「苦しいくらいに」
レンの胸が静かに痛む。
美月は続ける。
「でも、旦那さんといる時間が嘘かって言われたら」
少し間。
「それも違うの」
その言葉が、深く胸へ落ちる。
レンは、ゆっくり目を閉じる。
人はきっと。
一つの感情だけで生きていない。
誰かを好きでも。
別の誰かとの時間が、ちゃんと大切だったりする。
だから。
簡単に白黒つけられない。
その時。
レンが静かに言った。
「……どっちも本物なんだと思う」
美月が顔を上げる。
レンは続けた。
「美月が旦那さんと過ごしてきた時間も」
「今の感情も」
「多分、どっちも嘘じゃない」
雪が、肩へ静かに積もる。
美月は、しばらく黙っていた。
やがて。
小さく笑う。
「それ、余計苦しくなるやつ」
レンも苦笑した。
「かもな」
でも。
簡単に“どっちかは偽物”と言えないからこそ。
この感情は、本当に人間らしかった。
その時。
駅前の信号が赤へ変わる。
二人は立ち止まる。
雪の中。
人々が、静かに横を通り過ぎていく。
その時。
美月が、小さな声で呟いた。
「……ねえ」
レンが顔を向ける。
美月は、少し震える声で続けた。
「もしこのまま、好きでいたら」
雪が降る。
静かに。
どこまでも。
美月は、レンを見る。
「私たち、壊れるかな」
レンは、すぐ答えられなかった。
幸福。
罪悪感。
愛情。
寂しさ。
全部が混ざっている。
だから。
この恋は、綺麗なだけでは終わらなかった。
読んでいただきありがとうございます!
第百三十話です。
今回は、“幸福と罪悪感が同時に存在する恋”を描いてみました。




