第百二十六話 朝になる前の感情
後悔は、消したい感情じゃない。
“ちゃんと誰かを好きだった”という、静かな証拠なのかもしれない。
電話を切ったあとも。
レンは、しばらく屋上に立っていた。
冬の夜風。
静かな街。
透明都市の灯りが、遠くで滲んでいる。
胸の奥が、少し苦しかった。
でも。
嫌な苦しさじゃない。
ちゃんと誰かを大事に思っている時の痛みだった。
その時。
屋上の扉が、ゆっくり開く。
アカネだった。
缶コーヒーを二本持っている。
レンを見るなり、呆れた顔をした。
「まだいたの」
レンは苦笑する。
「なんとなく」
アカネは隣へ来る。
そして。
無言で缶コーヒーを一本渡した。
少し沈黙。
夜景だけが広がっている。
その時。
アカネがぽつりと言った。
「泣いてた?」
レンが眉をひそめる。
「泣いてねえよ」
アカネは小さく笑った。
「そういう時、“泣いてない”って即答する人ほど危ないのよ」
レンは缶コーヒーへ視線を落とす。
少しだけ、図星だった。
感情を取り戻してから。
レンは前より、“寂しさ”を感じるようになった。
でも同時に。
前より、“ちゃんと生きてる”感じもしていた。
その時。
レンがぽつりと聞く。
「アカネってさ」
アカネが顔を向ける。
レンは続けた。
「後悔してる恋、ある?」
一瞬、風が止まる。
アカネは少し驚いた顔をした。
やがて。
小さく笑う。
「急に重い質問するじゃない」
レンは肩をすくめた。
アカネは夜景を見る。
少し長い沈黙。
そして。
静かに答えた。
「……あるわよ」
レンは黙って聞く。
アカネは続けた。
「“好きだった”っていうより」
「“ちゃんと向き合えばよかった”って後悔だけど」
その声は、いつもより少し柔らかかった。
アカネは苦笑する。
「昔の私、多分」
「感情見せるの下手すぎたのよね」
「余裕あるふりして」
「平気な顔して」
「大丈夫な女やって」
少し間。
「で、気づいたら終わってた」
レンの胸が、静かに痛む。
アカネみたいな人でも。
“伝えられなかった感情”がある。
その時。
アカネが、ぽつりと呟いた。
「でもさ」
レンが顔を向ける。
アカネは、夜景を見たまま続けた。
「後悔って、多分」
「“ちゃんと好きだった”証拠でもあるのよ」
冬の風が吹く。
その言葉が、胸へ静かに落ちる。
レンは、美月を思い出していた。
簡単に答えが出ない恋。
苦しい。
寂しい。
でも。
それでも、ちゃんと好きなのだ。
その時。
空が少しだけ白み始めていることに気づく。
夜明け前。
一番静かな時間。
アカネが小さく笑った。
「人ってさ」
レンが顔を向ける。
アカネは続けた。
「朝になる前が、一番感情弱くなる気がする」
レンは少し笑った。
「それ、わかるかも」
透明都市の夜は、ゆっくり朝へ近づいていた。
壊れそうな感情も。
言えなかった後悔も。
全部抱えたまま。
人はまた、朝を迎えていく。
読んでいただきありがとうございます!
今回は、“後悔として残る感情”を描いてみました。
人はきっと、全部うまくはいかないからこそ、感情を忘れられないのだと思います。




