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透明都市アーカイブ―愛を売った男たち―  作者: 秀人


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第百二十五話 夜の電話

人は時々、“もしも”を考えてしまう。

でも、“今の自分”は、きっと過去の痛みごと出来上がっている。

 返信は、しばらく来なかった。


 


 


 レンは屋上の手すりへ寄りかかったまま、夜景を見ている。


 


 


 冬の風が冷たい。


 


 


 でも。


 


 


 胸の奥の方が、もっと冷えていた。


 


 


 雪斗は空気を読んだのか、途中で下へ戻っている。


 


 


 屋上には、レン一人。


 


 


 スマートフォンの画面だけが、静かに光っていた。


 


 


 その時。


 


 


 着信。


 


 


 美月だった。


 


 


 レンは、一瞬だけ呼吸を止める。


 


 


 そして。


 


 


 静かに通話へ出た。


 


 


 「……もしもし」


 


 


 電話の向こうは、しばらく無言だった。


 


 


 小さな生活音だけが聞こえる。


 


 


 多分。


 


 


 部屋の中だ。


 


 


 やがて。


 


 


 美月が、小さく笑った。


 


 


 『ごめん』


 


 


 レンが眉をひそめる。


 


 


 「なにが」


 


 


 『なんか、声聞きたくなった』


 


 


 その言葉が、静かに胸へ落ちる。


 


 


 レンは空を見る。


 


 


 冬の夜空。


 


 


 星は見えない。


 


 


 美月は続けた。


 


 


 『今日ね』


 


 


 『旦那さんと普通にご飯食べて』


 


 


 『普通に笑って』


 


 


 『普通に“おやすみ”って言ったの』


 


 


 声は穏やかだった。


 


 


 でも。


 


 


 その穏やかさが逆に苦しかった。


 


 


 美月は小さく息を吐く。


 


 


 『なのに、なんで泣きたくなるんだろ』


 


 


 レンは何も言えなかった。


 


 


 多分。


 


 


 それは“今が不幸”だからじゃない。


 


 


 むしろ逆だ。


 


 


 ちゃんと大事な日常がある。


 


 


 でも同時に。


 


 


 レンへの感情も消えていない。


 


 


 だから苦しい。


 


 


 美月は静かに続けた。


 


 


 『レンといると』


 


 


 『昔の自分、戻ってくるんだよね』


 


 


 レンの胸が、少しだけ痛む。


 


 


 美月は苦笑した。


 


 


 『ちゃんと笑って』


 


 


 『ちゃんと泣いて』


 


 


 『ちゃんと寂しいって言ってた頃の自分』


 


 


 冬の風が吹く。


 


 


 レンは目を閉じる。


 


 


 感情を取り戻すって、多分。


 


 


 “昔の自分”まで戻ってくることなのだ。


 


 


 忘れたふりをしていた感情たちが。


 


 


 全部。


 


 


 その時。


 


 


 美月が、小さく呟いた。


 


 


 『ねえ』


 


 


 レンが返事をする。


 


 


 『もしさ』


 


 


 少し沈黙。


 


 


 『もっと早く、こうなれてたら』


 


 


 レンの呼吸が止まる。


 


 


 美月は続ける。


 


 


 『私たち、違ったのかな』


 


 


 その質問へ。


 


 


 レンは、すぐ答えられなかった。


 


 


 もし。


 


 


 もっと早く、感情を閉じ込めないで済んでいたら。


 


 


 依存じゃなく、向き合えていたら。


 


 


 壊れ方も違ったのだろうか。


 


 


 でも。


 


 


 考えても、答えはない。


 


 


 その時。


 


 


 レンは静かに言った。


 


 


 「……わかんない」


 


 


 美月は黙って聞いている。


 


 


 レンは続けた。


 


 


 「でも、多分」


 


 


 夜景を見る。


 


 


 透明都市の灯り。


 


 


 「今の俺たちがあるのって」


 


 


 「ちゃんと、あの失敗通ったからだと思う」


 


 


 電話の向こうが静かになる。


 


 


 やがて。


 


 


 美月が、小さく笑った。


 


 


 『……うん』


 


 


 少し鼻声だった。


 


 


 でも。


 


 


 その“うん”は、どこか優しかった。


 


 


 その時。


 


 


 遠くで、電車の音が響く。


 


 


 夜は、まだ終わらない。


 


 


 でも。


 


 


 二人の感情は、もう昔みたいに壊れるだけではなかった。

読んでいただきありがとうございます!


今回は、“もしも違う未来があったなら”という感情を描いてみました。

大人になるほど、人は“正解”より、“失わなかった可能性”に心を揺らされるのかもしれません。

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