第百四話 泣き方を知らない少女
感情は、“感じること”より、“外へ出すこと”の方が難しい時がある。
夕方の透明都市は、少し騒がしかった。
感情が戻ってから、この街はよく泣く。
駅で泣く人。
カフェで笑いながら泣く人。
電話越しに怒鳴り合う人。
街全体が、“感じ直す練習”をしているみたいだった。
レンは、黒い店の窓からその景色を見ていた。
その時。
扉のベルが鳴る。
入ってきたのは、制服姿の少女だった。
高校生くらい。
黒髪。
細い身体。
でも。
目だけが妙に空っぽだった。
レンは少し身構える。
感情を失った人間特有の、“静かすぎる空気”。
少女は店内を見回す。
そして、小さく言った。
「……ここ、“感情の店”ですよね」
アカネが頷く。
「今は、売却はやってないけど」
少女は首を横に振る。
「違います」
少し間が空く。
「……戻ってきちゃったんです」
その声は、妙に平坦だった。
でも。
だからこそ危うかった。
少女は席へ座る。
そして。
ぽつりと言った。
「私、多分」
「泣いたことないんです」
店内が静まる。
レンは思わず顔を上げる。
少女は続けた。
「小さい頃から、泣くと怒られて」
「“我慢しなさい”ってずっと言われて」
「だから途中から、泣けなくなった」
その言葉に。
レンの胸が少し痛む。
少女は、どこか他人事みたいに話していた。
多分。
本当に“感情の扱い方”がわからないのだ。
少女は続ける。
「でも最近」
指先が少し震える。
「急に胸が苦しくなるんです」
「意味もなく泣きそうになって」
「でも泣き方わかんなくて」
その声は、初めて少しだけ揺れた。
レンは静かに息を吐く。
感情が戻るって、多分こういうことなのだ。
“失っていた感情”が急に戻っても。
人はすぐには扱えない。
少女は苦しそうに笑う。
「変ですよね」
「みんな普通に泣けるのに」
アカネが静かに珈琲を置く。
そして。
小さく言った。
「普通じゃない人間なんて、ここにはいないわよ」
少女が顔を上げる。
アカネは続ける。
「泣けない人も」
「泣きすぎる人も」
「感情閉じ込めて壊れる人も」
少し笑う。
「だいたい人間そんな感じ」
少女は少しだけ目を丸くした。
その時。
レンが静かに聞く。
「最近、何かあった?」
少女は少し黙る。
やがて。
小さく答えた。
「……猫」
レンが目を瞬かせる。
少女は続ける。
「家の近くにいた野良猫」
「毎日会ってたんです」
声が少し震える。
「でも先週、死んじゃって」
その瞬間。
少女の指先が、強く握られた。
「その時も、泣けなくて」
「なのに最近、急に苦しくて」
「学校でも、電車でも」
「なんか、ずっと胸が痛いんです」
店内が静かになる。
レンは気づく。
この子は今、“悲しみ”を感じ始めている。
でも。
泣き方を知らない。
感情の外し方が、わからない。
その時。
アカネが、静かに少女へティッシュ箱を差し出した。
少女は戸惑う。
アカネは優しく言った。
「多分それ、ちゃんと悲しいんだと思う」
少女の目が、少しだけ揺れた。
読んでいただきありがとうございます!
今回は、“泣き方を忘れた人間”の物語が始まりました!




