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透明都市アーカイブ―愛を売った男たち―  作者: 秀人


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第十話 残された痛み

人は、傷つくから人間なのかもしれない。

もし痛みを完全に失ったなら、それでも“心”は残るのだろうか。

「……愛」


 


 ユイの言葉が、レンの胸に残った。


 


 


 愛。


 


 


 顔も思い出せない。


 


 名前もわからない。


 


 それなのに。


 


 


 苦しい。


 


 


 まるで胸の奥に、見えない傷だけが残っているみたいだった。


 


 


 「変ですよね」


 


 


 レンは苦笑する。


 


 


 「記憶はないのに、痛みだけある」


 


 


 ユイは静かに首を振った。


 


 


 「でも、多分」


 


 


 彼女は小さく言う。


 


 


 「それ、本物だったんだと思います」


 


 


 レンは返事ができなかった。


 


 


 本物。


 


 


 藤堂アカネも、同じことを言っていた。


 


 


 “本当に愛した感情は綺麗”だと。


 


 


 その考え方は気味が悪い。


 


 でも同時に。


 


 否定しきれない何かもあった。


 


 


 その時。


 


 ユイのスマートフォンが震えた。


 


 


 画面を見る。


 


 


 一瞬だけ。


 


 彼女の表情が、わずかに曇った。


 


 


 「……父です」


 


 


 ユイは小さく呟く。


 


 


 通話には出ない。


 


 


 レンは聞いた。


 


 


 「出なくていいのか」


 


 


 ユイは少し黙ったあと、静かに言った。


 


 


 「最近、父が苦手なんです」


 


 


 レンは眉をひそめる。


 


 


 「なんで」


 


 


 ユイは困ったように目を伏せた。


 


 


 「泣くから」


 


 


 その答えに、レンは何も言えなかった。


 


 


 「母の話になると、父は今でも泣くんです」


 


 


 ユイはストローを指で回す。


 


 


 「でも私は、何も感じない」


 


 


 声は静かだった。


 


 けれどその静けさが、逆に痛かった。


 


 


 「だから最近、父を見ると苦しくなる」


 


 


 ユイは少しだけ笑った。


 


 


 「多分、“普通じゃない”って思うから」


 


 


 レンは、その笑顔がひどく危うく見えた。


 


 


 感情を失った人間は、壊れない。


 


 


 でも。


 


 


 “空っぽ”にはなる。


 


 


 その時だった。


 


 


 店の外で、子供の泣き声が聞こえた。


 


 


 小さな男の子だった。


 


 転んだのか、膝を擦りむいている。


 


 


 母親が慌てて駆け寄る。


 


 


 「大丈夫!? 痛かったね!」


 


 


 男の子は泣きながら母親に抱きついた。


 


 


 ユイは、その光景をじっと見ていた。


 


 


 レンはふと気づく。


 


 


 彼女は“泣いている人間”を見る時だけ、少し苦しそうな顔をする。


 


 


 まるで、自分の中にないものを見せつけられているみたいに。


 


 


 「……羨ましい?」


 


 


 レンが聞くと、ユイは少し驚いた顔をした。


 


 


 しばらく黙ったあと。


 


 


 ぽつりと呟く。


 


 


 「わかりません」


 


 


 でも。


 


 


 その直後。


 


 


 ユイの目尻が、ほんの少しだけ赤くなった。


 


 


 涙は出ない。


 


 


 けれど。


 


 


 何かが確かに、彼女の中で揺れていた。


 


 


 その瞬間。


 


 


 レンのスマートフォンが震えた。


 


 


 非通知。


 


 


 レンは無言で通話を取る。


 


 


 『こんばんは、真壁レンさん』


 


 


 藤堂アカネの声だった。


 


 


 『どう?』


 


 


 雨みたいに静かな声。


 


 


 『失った人間は、綺麗でしょう?』

読んでいただきありがとうございます!


ユイ編、少しずつ“感情の残り火”が見えてきました。

次回、レンは藤堂アカネと再び対話します!

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