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からくり競艇〜サラリーマン、魂のフルスロットル〜  作者: 水前寺鯉太郎
サラリーマン編

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6/45

『決算、そして決別』

「佐伯さん、この前の接待費の精算なんですけど……」

「……ああ、そこに出しておいてくれ。後で見ておく」

横浜のオフィス。空調の音とキーボードを叩く音だけが響く中、健太はいつものように淡々と業務をこなしていた。

だが、そのワイシャツの下には、昨日の模擬レースで負った青あざが刻まれている。

(……潮時か)

健太は、長年使い古した電卓をデスクの引き出しに仕舞った。

一円の狂いもなく数字を合わせる人生。それはそれで、彼なりの「贖罪」だった。仲間の死から目を背け、静かな水面のような平穏を求めて辿り着いた場所。

だが、江戸川の濁流を一度知ってしまった以上、もうこの静寂には戻れない。

健太は懐から、一通の封筒を取り出した。

「辞職願」

昨日、教習所の寮で、あの「からくり点火プラグ」を磨きながら書き上げたものだ。

「……佐伯さん? 顔色が悪いですよ、今日も江戸川までイベントでも見に行くんですか?」

後輩の佐藤が心配そうに声をかけてくる。健太は小さく笑い、首を振った。

「いや……もう『見る』のは終わりだ、佐藤。今まで世話になったな」

健太は部長席の前へ歩み寄った。

驚く部長のデスクに、迷いのない手つきで辞表を置く。

「……佐伯君、これはどういうことだね? 君がいなくなったら、うちの経理は誰が回すと思ってるんだ」

部長の叱責。周囲の社員たちのどよめき。

かつての健太なら、ここで頭を下げ、組織の歯車として自分を殺していただろう。

だが今の健太の背筋は、あの現役時代のように、鉄の芯が通ったように伸びていた。

「……申し訳ありません。ですが、私の『流量マブイ』が、ここではもう抑えきれそうにないんです」

「何を言っているんだ君は! 35歳にもなって、これからどうするつもりだ。再就職先でもあるのかね?」

健太は無言で眼鏡を外し、胸ポケットに差し込んだ。

その瞬間、オフィスにいた全員が息を呑んだ。

穏やかな経理マン・佐伯健太の顔から、**「湾岸雷神会・元総長」**の凄みが剥き出しになったからだ。

「……レースに出ます。サラリーマンとしての決算ケジメは、すべてつけてきました」

健太は最後にもう一度だけ、自分のデスクを一瞥した。

私物は、カバンの中にある「からくり艇の部品」と「使い古したレンチ」だけ。

「……失礼します」

引き止める声を背中で切り捨て、健太はオフィスを後にした。

エレベーターを降り、横浜の風を受けた瞬間、彼はネクタイを力強く引きちぎった。

これからはもう、スーツで隠す必要はない。

二度と戻らない、泥沼と爆音の世界へ。

夕暮れの江戸川へと向かう電車の中で、健太はスマホを開き、大宮機艇教習所の石原校長に短いメッセージを送った。

『今日から、ただの研究生として宜しくお願いします。』

返信は一瞬で来た。

『鉄の餌を買ってこい。話はそれからだ。』

健太の口角が、ほんの少しだけ上がった。

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― 新着の感想 ―
はじめまして~Xから来ました。 暴走族の元総長という派手な過去を暴力や気合の象徴にせず、1円の狂いも許さない経理マンの規律とリンクさせた点が素晴らしいです。 0.1ミリのスロットル操作を予算管理に例え…
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