第38話:『落日・博多駅16番ホームの決算』
第38話:『落日・博多駅16番ホームの決算』
「……すまない、みんな」
福岡空港へ向かう車の中、健太はギプスで吊った右腕を虚空に見つめながら、絞り出すように呟いた。
SG優勝戦の当日。福岡競艇場ではファンファーレが鳴り響いているが、そこには「佐伯健太」の名も、愛機「ハヤブサ」の姿もない。
診断結果は全治3ヶ月。選手生命を優先しろという医師の勧告と、何よりボロボロになったハヤブサを見て、健太は一度「退却」という名の損切りを決断した。
別れのプラットホーム
博多駅の新幹線ホーム。
そこには、健太を見送るために駆けつけた麗華、紫乃、そして中島和樹の姿があった。
「……佐伯。あんた、これで終わりじゃないわよね? 東京支部の女王が、一度負けた相手に逃げられるなんて、私のプライドが許さないわ」
麗華は強がっているが、その瞳は微かに潤んでいる。
「佐伯さん、ハヤブサは私たちが預かります。……次、あなたが福岡に来る時は、世界で一番速い翼に戻しておきますから」
紫乃がハクを抱きしめながら、力強く誓った。
「……ああ。……必ず、立て直す(リビルド)よ」
健太は、スエが入ったキャリーバッグを左手で持ち上げた。
スエはいつものように吠えることもなく、ただ静かに、健太の複雑な心境を察するように「キュ〜ン……」と鼻を鳴らした。
帰郷、そして静寂
新幹線が走り出し、博多の街が遠ざかっていく。
健太は自由席の窓際に座り、流れる景色を眺めていた。
「……特命係長時代も、一度だけ大きな失敗をして、地方に飛ばされたことがあったな、スエ」
キャリーバッグの隙間から、スエの丸い目が健太を見上げる。
かつて企業の闇を暴きすぎて、命を狙われ、身を隠した日々。
今の状況は、あの時とよく似ている。
「……だが、あの時も最後は『黒字』で締めた。……今回も、同じだ」
東京の古巣へ
数時間後、辿り着いたのは東京の隅田川に近い、古びたマンション。
平和島の喧騒も、江戸川のうねりも届かない、健太がレーサーになる前から住んでいた「ただのサラリーマンの家」だ。
部屋に入ると、埃の匂いがした。
健太はスエを放し、ソファに深く身体を沈めた。
右腕の疼きが、敗北の味を思い出させる。
「フゴッ……。フゴッ……」
スエが、部屋の隅に置いてあった、かつての健太の「ビジネスバッグ」と「古いノートパソコン」を鼻で押し、健太の足元に運んできた。
「……スエ。お前、わかってるな」
健太は左手でバッグを開け、中から一台のUSBトークンを取り出した。
それは、レースのデータではない。
「特命係長」時代に構築した、全世界の資金流動を監視する裏の監査システム。
「水上が無理なら、地上で追い詰める。……東雲グループの息の根を、まずはその『財布』から止めてやる」
夕闇が迫る東京の空。
傷ついたおじさんとパグ。
しかし、その部屋から漏れるモニターの光は、復讐という名の「最強の経営再建計画」を静かに描き始めていた。




