第36話:『大破・福岡の惨劇と愛犬の叫び』
福岡SG、準優勝戦。
夕闇が迫る那珂川の河口は、不気味なほど潮位を増していた。
健太の『ハヤブサ(61号機)』は、これまでの酷使と東雲グループの巧妙な細工により、その心臓部に目に見えない「亀裂」を抱えていた。
「……フゴーッ! フゴガッ!!」
ピットのケージの中で、スエが狂ったように吠えている。
それは勝利へのエールではない。健太の死角に潜む、破滅の予兆に対する必死の警告だった。
「スエ……大丈夫だ。俺たちの『最終決算』は、まだ終わっちゃいない」
健太はそう言い残し、激流へと機体を向けた。
スタート:狂った同期
「スタート!!」
1コースの西貴斗、4コースの麗華を抑え、健太はコンマ08の全速スタートを決める。
だが、その瞬間、ハヤブサのエンジンから異様な「高周波マブイ」が漏れ出した。
(……!? 指示に対するレスポンスが……1秒遅れている!?)
健太の驚異的な「現場感覚」が異変を察知したが、時速80キロを超える水上では、その1秒が致命的な差となる。
第1ターンマーク:衝突
健太が第1マークへ向けてハンドルを切り、スロットルを絞ったその瞬間。
ハヤブサの内部に仕掛けられていた「逆位相プログラム」が作動した。
「ガガッ……!!」
エンジンの回転が急激に逆転し、ハヤブサは逃げ場のない「うねり」の中で完全にエンスト。慣性だけで水面を滑り、コントロールを失った「鉄の塊」と化した。
「佐伯!? 何やってんのよ、避けてッ!!」
後続から全速で差しを狙っていた麗華の5号機が叫ぶ。
しかし、無情にも健太の機体は、後続艇の航跡へ吸い込まれるようにスピン。
そこへ、全速旋回中の他艇が激突した。
「ドォォォォォンッ!!」
福岡の水面に、ハヤブサの真っ白なカウルが粉々に砕け散り、巨大な水柱が上がる。
衝撃で健太のヘルメットが飛び、視界が鮮血で染まった。
水底の闇
「……あ……スエ……、霧島、さん……」
意識が遠のく中、健太は冷たい那珂川の底へと沈んでいく。
ハヤブサの残骸が、まるで主を守るように周囲に漂う。
(……これで、俺の帳簿も……終わりか……)
その時、水面から一筋の「黄金の光」が差し込んだ。
「ワンッ! ワンワンッ!!(起きろッ! 死なせねえぞッ!!)」
ピットの柵を乗り越え、荒れ狂う福岡の水面へ飛び込んだのは、スエだった。
救助艇よりも速く、小さな体で波をかき分け、スエは健太が沈んだ地点へと向かって泳ぎ続ける。
救出:再起への火種
「佐伯さんッ!!」
激突を間一髪で回避した麗華と紫乃が、即座に機体を止め、水面に飛び込む。
麗華が健太を引き揚げたとき、彼の右腕は砕け、愛機ハヤブサは文字通りの「廃船」となっていた。
だが、健太の耳には、必死に自分を舐めて起こそうとするスエの温かい舌の感触と、震える声が聞こえていた。
「……フガッ、フゴッ……(バカ飼い主……勝手に決算、締めるんじゃねえよ……)」
東雲グループの冷笑が、競技場のモニター越しに聞こえるようだった。
予選敗退、機体は大破、そして負傷。
どん底に突き落とされたおじさんレーサー。
だが、救護室へ運ばれる健太の手を、麗華が、紫乃が、そして中島和樹が、静かに、しかし力強く握っていた。
「……佐伯。……あいつらを、生かしてはおけん」
中島の目が、本物の「修羅」の輝きを放つ。
福岡SG、優勝戦への道は絶たれた。
だが、ここから始まるのは、ルールも審判もいない、特命係長・佐伯健太と東雲グループの「真の最終監査」だった。




