博多決戦・一括償却インパクト
第35話 博多決戦・一括償却インパクト
二〇四一年、八月。中洲の倉庫街。潮気と重油の混じった重苦しい空気の中に、その怪物は鎮座していた。
「……フフフ、ここまで嗅ぎ回るとはな。だが、お前たちの『決算』も、この場所で確定申告だ」
東雲グループの残党、冷徹な眼差しをした黒スーツの男が、禍々しい紫の光を放つリモコンを掲げる。その瞬間、倉庫の奥からコンクリートを削る不快な金属音が響き、闇を切り裂いて巨大な影が躍り出た!
それは、ボートを強引に二隻連結させ、中央に巨大な動力部を配した異形の双胴船――無人からくり機『ケルベロス』。機体全体から漏れ出すドス黒い違法高圧スラストが、周囲の酸素を焼き、剥き出しのトリプル・スクリューが猛然と回転を始める!
「な、何よこれ……ボートじゃないわ、ただの殺戮兵器じゃない!」
霧島麗華が叫び、反射的に高圧スラストによる風圧障壁を展開する。しかし、ケルベロスの暴力的な出力の前に、女王の障壁さえも薄氷のようにひび割れていく!
「佐伯さん! あの機体のコアは三つのエンジンが無理やり連結されている……同期の隙を突かないと止まりません!」
松風みなみが叫んだ。前検日にハクが見抜いた解析結果が、その構造上の欠陥を証明している。
健太は、懐から取り出した年季の入ったストップウォッチを一瞥した。
午後八時五十二分。
宿舎の外出門限まで、残り八分。
「……松風さん、霧島さん。あと五分でこれを片付ける。……門限破りは、俺の『就業規則』に反するからな。不名誉な遅刻は、帳簿に載せたくない」
健太は胸ポケットに眼鏡をねじ込み、愛用の中堅メーカー製ネクタイを右手に固く巻き付けた。その瞬間、温厚なおじさんのオーラは消え失せ、特命係長としての「戦闘的合理主義」がその肉体を支配する!
(前検日にスエが見せたあの鋭い直感……左の排気口と右の周波数だ!)
健太の指示のもと、みなみが電子ロックの同期を乱し、健太が素早い手つきで剥き出しの配線を根元から引きちぎった!
システムがエラーを吐き出し、巨体がわずかに硬直したその一瞬。
健太の体が、重力を無視して宙を舞った!
「特命奥義……『一括償却・インパクト』!!」
ケルベロスの心臓部、三つのエンジンが歪に交わる「連結決算点」に向けて、健太の全体重を乗せた右拳が叩き込まれた!
鋼鉄の装甲が飴細工のように拉げ、過負荷に陥った高圧スラスト回路が激しい火花を散らして沈黙する!
「……不適切な固定資産は、即座に没収だ」
健太は倒れ伏す男たちには目もくれず、息を切らした麗華とみなみを鋭く促した。
「走るぞ! 残り三分だ! 門限に一秒でも遅れたら、規律違反でSG失格になる。そんな損失、計上できるか!」
博多の夜道を、三人のプロレーサーが猛然と駆け抜ける!
「ハァ……ハァ……もう、私のヒールがボロボロじゃない……! 佐伯、後で倍返しの請求書を送るからね!」
麗華が叫び、みなみが転がるように宿舎の正門へ滑り込む!
健太は警備員が無情にも門を閉ざそうとしたその瞬間、摩擦熱で火花が散るほどのヘッドスライディングで敷地内へと潜り込んだ!
午後八時五十九分五十九秒。
「……セーフ、だな」
健太は荒い息をつきながら、胸ポケットから取り出した眼鏡を掛け直した。レンズの奥には、いつもの穏やかな「おじさん」の光が戻っている。
「……何よ、その涼しい顔は。……でも、助かったわ。礼は言わないわよ、あんたの不始末なんだから」
麗華が乱れた髪を直しながら、火照った顔を背ける。隣でみなみも静かに健太を見つめていた。
しかし、門の向こう側――。
闇に沈む倉庫街で、完全に破壊されたはずの『ケルベロス』の残骸から、一つの不気味な通信音が夜の静寂を切り裂いていた。
『……佐伯健太。……聞こえているか。……明日、福岡SGの優勝戦。……お前の『ハヤブサ』には、我々の最後の一手が、既に入力済みだ』
それは、東雲グループが遺した「呪いのログ」。
明日の優勝戦、健太は愛機に潜む「致命的な不具合」を抱えたまま、博多の激流、そして全国の猛者たちが待つ優勝戦のピットへと向かうことになる。
宿舎の個室でスマホを受け取り、ペットホテルで眠るスエの写真を確認した健太は、夜の空を見上げ、眼鏡をクイと押し上げた。
「……未払いのツケがあるなら、明日の優勝戦でまとめて清算してやるだけだ」
博多の夜が明け、最高の決算の朝が近づいていた。




