第32話:博多の放課後・白い追跡者(ペキニーズ)
福岡競艇場に隣接する海沿いの公園。
SG開催中のピリついた空気から離れ、健太は特例の「1時間外出」を利用してスエと歩いていた。
「……フゴー、フゴー」
スエは博多の海風を浴びて上機嫌だ。健太もこの時ばかりは「特命」の重圧を忘れ、ただの飼い主として穏やかな顔を見せている。
「いいかスエ、1時間だ。この『特別休暇』を有効に使わないとな。戻ったらまた、西や中島さんの猛烈なマブイ攻勢が待ってるんだからな」
健太が時計を確認し、そろそろ宿舎へ戻ろうとしたその時。
スエが急に立ち止まり、短い尻尾をピコピコと振って後ろを振り返った。
「……フガッ?」
健太が視線を向けると、そこには一匹の真っ白なペキニーズがいた。
そのペキニーズは、スエの数歩後ろを、音もなくトコトコとついてきている。
気高く、どこか優雅な足取り。しかし、その瞳には普通の犬とは思えない「知性」と、かすかな「マブイの残光」が宿っていた。
「……野良犬じゃないな。この毛並み、相当な管理を受けているぞ」
健太が足を止めると、ペキニーズも止まる。
スエが「遊ぶ?」と言わんばかりに近づこうとすると、ペキニーズは首をかしげ、口に咥えていた**「小さなカプセル」**を健太の足元にポトリと落とした。
「……なんだ、これは」
健太がそれを拾い上げようとした瞬間、背後の植え込みから冷ややかな声がした。
「……それは、私の犬が選んだ『あなたへの挑戦状』よ。佐伯選手」
振り返ると、そこには福岡支部が誇る期待の若手、そして今回のSGのダークホースと目される女性レーサーが立っていた。彼女の足元に、ペキニーズは静かに戻り、まるでお辞儀をするように健太を見つめた。
「ペキニーズの『ハク』は、マブイの質を見抜く。……あなたのスエちゃん、いいマブイ(魂)をしてるわね。でも、福岡のうねりを乗りこなすのは、私たちよ」
宿舎への帰還:解読されるデータ
外出時間の終了。健太はスエと共に宿舎の個室に戻った。
スエは「新しい友達ができた」と満足げにササミを噛んでいる。
健太が、ペキニーズのハクが落としたカプセルを「特命係長」の眼差しで慎重に開封すると、そこには一枚のホログラム・チップが入っていた。
「……これは、明日の予選第10レースの……『潮位変動の予測データ』か?」
東雲グループの残党が動く中、なぜ地元の若手レーサーが健太に情報を渡したのか。
それは敵の罠か、あるいは「からくり競艇」の腐敗を憂う者からの内部告発か。
「……スエ。どうやらあの白いペキニーズ、お前を単なる遊び相手だと思ってないみたいだぞ」
「フゴッ」
福岡SG、二日目。
健太とスエの前に、那珂川の濁流よりも複雑な「女たちの意地」と、白いペキニーズが導く「水上の迷宮」が立ちはだかろうとしていた。




