第22話:『女王の休日・帳簿外の素顔』
第22話:『女王の休日・帳簿外の素顔』
福井からの帰路。健太と麗華、そしてスエは、偶然にも同じ新幹線の指定席車両に乗り合わせていた(麗華が「たまたまよ」と言い張って、健太の隣の列を確保したのだが)。
「……フガッ、フガフガ!」
新幹線が静岡を過ぎたあたりで、足元のケージにいたはずのスエが、持ち前の器用さでロックを外し、脱走してしまった。
「……おい、スエ! どこ行った」
健太は慌てて座席を立ち、車両の後方へ向かう。
すると、グリーン車の入り口付近にある個室のような多目的スペースのシートで、健太は信じられない光景を目にした。
「……あ」
そこには、高級ブランドのストールを毛布代わりにし、ぐっすりと眠りこける霧島麗華の姿があった。
そして、その彼女の豊満な胸元……もとい、柔らかな膝の上に、ちゃっかりと収まってスヤスヤと眠るパグのスエ。
「フゴー……フゴー……」
スエのいびきと、麗華の静かな寝息が、奇妙なハーモニーを奏でている。
(……まいったな。これじゃ、回収できない)
健太は立ち尽くした。
普段、ピットで見せる「高慢な女王」の仮面は完全に剥がれ落ちている。
少し開いた桜色の唇。睫毛の長い瞼。時折、夢の中でレースでもしているのか、麗華の指先が微かにピクピクと動く。
「……霧島さん、風邪引きますよ」
健太は、自分が着ていた地味なグレーのジャケットを脱ぎ、そっと麗華の肩に掛けた。
その瞬間、麗華が「ん……」と声を漏らし、ゆっくりと目を開けた。
「……え? ……佐伯、さん?」
視界が焦点を取り戻すにつれ、麗華の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
自分の膝の上で爆睡するパグ。そして、自分を覗き込む「おじさん」の顔。
「な、ななな……何見てるのよ、この変態レーサー!!」
「……いえ。スエを探しに来ただけです。……あと、そのジャケット、クリーニング代は請求しないでくださいね」
「当たり前でしょ! こんな……こんな、安物のポリエステル、私の肌に触れさせないで!」
麗華は立ち上がり、スエを健太に押し付けるように返した。
だが、彼女の手は、健太のジャケットをすぐには離そうとしなかった。そこから伝わる、健太の体温と、微かな「オイルとタバコの匂い」。
「……ササミの、お返し。……これでチャラにしてあげるわよ」
麗華はストールを顔まで引き上げ、再び座席に深く座り直した。
サングラスで隠しているが、耳の先まで赤くなっているのは見え見えだ。
「……フゴッ?」
健太の腕の中で、スエだけが「いい夢見てたのに」と不満げに鼻を鳴らした。
「……スエ。お前、いつか女王様に消されるぞ」
健太は苦笑しながら、再び自席へと戻った。
東京まであと少し。
窓の外を流れる富士山を眺めながら、健太はふと思った。
プロの世界に入って、失ったものばかりではない。
1円の狂いもない帳簿のような人生に、思わぬ「特別利益」が紛れ込んできたような、そんな奇妙な高揚感。
だが、品川駅に着いた瞬間、健太のスマホが激しく震えた。
送り主は、東京支部の火野龍也。
『オッサン、大変だ! 61号機が……、ピットで誰かに細工された形跡がある!』
「……何だと?」
健太の目が、一瞬で「元総長」の鋭さに戻った。
江戸川でのG1を前に、水面下の戦いは既に始まっていた。




