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からくり競艇〜サラリーマン、魂のフルスロットル〜  作者: 水前寺鯉太郎
プロ駆け出し編

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18/42

『沈黙の暗殺者(サイレントキル)・夜を斬るハヤブサ』

午後8時、敦賀競艇場。

カクテル光線に照らされた水面は、昼間の鏡のような表情から一変し、底の見えない黒いインクを流し込んだような不気味さを湛えていた。

気温が下がり、湿度が上昇する。淡水の水面はさらに重く、硬く、機体を拒むように冷え切っている。

「……フゴッ……。ウーッ」

ピットの片隅で、スエが低く唸った。

いつもは愛嬌を振りまくパグが、夜の闇の一点を見つめて毛を逆立てている。

「……スエ、わかるか。……あいつ、本当に『いない』みたいだな」

健太の視線の先には、5号機の前に立つ沼田一恵がいた。

コアマブイ0。外付マブイ0。

からくり競艇の世界において、マブイはエンジンの排気音であり、レーサーの殺気そのものだ。だが、彼女からはその一切が感じられない。

「……第12レース、進入開始です」

アナウンスとともに、6隻の機艇がピットを離れた。

1コース、中島和樹。2コース、今井玲子。そして3コースに佐伯健太。

沼田一恵は、虎視眈々と大外6コースに構えた。

スタート:音のない接近

「……全速フル・スロットル!」

大時計がゼロを刻む。

中島の01号機が、重厚なマブイの咆哮とともにインから先行する。今井がそれに続く。

健太もまた、ハヤブサの流量を0.1mm単位で制御し、中島の引き波の「一歩外」を完璧なタイミングで捉えた。

だが、異変はその直後に起きた。

(……!? 左舷、誰もいないはずなのに……波が割れている!?)

健太の「現場感覚」が警鐘を鳴らす。

視覚には映らない。レーダーのマブイ反応も皆無。

だが、ハヤブサの左側に、確実な「重圧」が存在していた。

奥義:サイレントキル。

沼田一恵の5号機は、機体のすべての駆動音を「反転マブイ」で打ち消し、闇に溶け込んでいた。

彼女は、健太が1マークへターンを仕掛ける「コンマ数秒前」の死角に、音もなく潜り込んでいたのだ。

「……おじさん。……そこ、私の通り道だよ」

ヘルメット越しに、直接脳内に響くような冷たい声。

1マーク:暗闇の刺突

沼田の5号機が、突如として闇から「実体化」した。

マブイの気配がないため、健太は回避のタイミングをコンマ数秒遅らされる。

「差し」でも「まくり」でもない。相手の懐に音もなく滑り込み、その推進力を奪い取る暗殺者の旋回。

「がっ……、機体が……吸い込まれる……!」

ハヤブサが沼田の引き波に捕らわれ、硬い水面にバウンドする。

だが、ここで健太の「ギャンブラーの狂気」が目を覚ました。

「吸い込まれるなら……そのまま連れて行ってもらうまでだ!」

健太はアクセルを緩めるどころか、流量を最大まで「オーバーフロー」させた。

ハヤブサの61号機が悲鳴を上げ、過負荷でシリンダーが真っ赤に焼ける。

沼田の「無音の波」を逆に利用し、その波頭をサーフボードのように滑り抜ける**「逆噴射バック・ドラフト旋回」**。

バックストレッチ:決算の光

「……避けた……? 私の気配が、ないのに……」

初めて沼田の目に動揺が走った。

健太は、スエが示した「闇の中の違和感」と、長年の現場で培った「殺気の不在という殺気」を読み切ったのだ。

「……沼田。数字に頼りすぎたな。……現場に『絶対』なんて帳簿は存在しねえんだよ!」

カクテル光線を背に、ハヤブサが夜の敦賀を切り裂く。

1着、中島和樹。そして、わずか数センチの差で沼田を競り落とした2着に、佐伯健太。

レース後:静かなピット

「……負けた。……おじさん、気持ち悪いよ」

沼田が、いつもの無表情で健太の前に立った。だが、その手は微かに震えている。

「……気持ち悪いのは、俺の体の方さ。……いいレースだったよ、沼田」

健太はふらつきながらも、駆け寄ってきたスエを抱き上げた。

スエは沼田に向かって、一度だけ「フンッ」と鼻を鳴らし、誇らしげに健太の胸に顔を埋めた。

遠くでそれを見ていた中島和樹が、小さく頷く。

「……機体との対話だけでは、あの男は超えられんか。……玲子、明日はペラを叩き直すぞ」

敦賀の夜は、まだ始まったばかりだった。

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